、下に何かいてグイと持って行こうとするようなので、なやすようにして手をはなさずに、それをすかして見ながら、
「旦那これは釣竿です、野布袋《のぼてい》です、良《い》いもんのようです。」
「フム、そうかい」といいながら、その竿の根の方を見て、
「ヤ、お客さんじゃねえか。」
お客さんというのは溺死者《できししゃ》のことを申しますので、それは漁やなんかに出る者は時々はそういう訪問者に出会いますから申出《もうしだ》した言葉です。今の場合、それと見定めましたから、何も嬉《うれ》しくもないことゆえ、「お客さんじゃねえか」と、「放してしまえ」と言わぬばかりに申しましたのです。ところが吉は、
「エエ、ですが、良《い》い竿ですぜ」と、足らぬ明るさの中でためつすかしつ見ていて、
「野布袋の丸《まる》でさア」と付足《つけた》した。丸というのはつなぎ竿になっていない物のこと。野布袋竹《のぼていだけ》というのは申すまでもなく釣竿用の良いもので、大概の釣竿は野布袋の具合のいいのを他の竹の竿につないで穂竹《ほだけ》として使います。丸というと、一竿《ひとさお》全部がそれなのです。丸が良い訳はないのですが、丸でいて調子の良い、使えるようなものは、稀物《まれもの》で、つまり良いものという訳になるのです。
「そんなこと言ったって欲しかあねえ」と取合いませんでした。
が、吉には先刻《さっき》客の竿をラリにさせたことも含んでいるからでしょうか、竿を取ろうと思いまして、折らぬように加減をしながらグイと引きました。すると中浮《ちゅううき》になっていた御客様は出て来ない訳には行きませんでした。中浮と申しますのは、水死者に三態あります、水面に浮ぶのが一ツ、水底に沈むのが一ツ、両者の間が即ち中浮です。引かれて死体は丁度客の坐の直ぐ前に出て来ました。
「詰《つま》らねえことをするなよ、お返し申せと言ったのに」と言いながら、傍《そば》に来たものですから、その竿を見まするというと、如何《いか》にも具合の好さそうなものです。竿というものは、節《ふし》と節とが具合よく順々に、いい割合を以て伸びて行ったのがつまり良い竿の一条件です。今手元からずっと現われた竿を見ますと、一目《ひとめ》にもわかる実に良いものでしたから、その武士も、思わず竿を握りました。吉は客が竿へ手をかけたのを見ますと、自分の方では持切れませんので
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