うらかいどう》へと出るかの外には路《みち》も無いのだから、今では実際雁坂越の道は無いと云った方がよいのである。こういうように三方は山で塞《ふさ》がっているが、ただ一方川下の方へと行けば、だんだんに山合《やまあい》が闊《ひろ》くなって、川が太《ふと》って、村々が賑《にぎ》やかになって、ついに甲州街道へ出て、それから甲斐一国の都会《みやこ》の甲府《こうふ》に行きつくのだ。笛吹川の水が南へ南へと走って、ここらの村々の人が甲府甲府と思っているのも無理は無いのであ驕B
釜和原はこういったところであるから、言うまでも無く物寂《ものさ》びた地だが、それでも近い村々に比べればまだしもよい方で、前に挙《あ》げた川上の二三ヶ村はいうに及《およ》ばず、此村《これ》から川下に当る数ヶ村も皆この村には勝らないので、此村《ここ》にはいささかながら物を売る肆《みせ》も一二|軒《けん》あれば、物持だと云われている家《うち》も二三|戸《こ》はあるのである。
今この村の入口へ川上の方から来かかった十三ばかりの男の児《こ》がある。山間僻地《さんかんへきち》のここらにしてもちと酷過《ひどす》ぎる鍵裂《かぎざき》だらけの古布子《ふるぬのこ》の、しかもお坊《ぼう》さんご成人と云いたいように裾短《すそみじか》で裄短《ゆきみじか》で汚《よご》れ腐《くさ》ったのを素肌《すはだ》に着て、何だか正体の知れぬ丸木《まるき》の、杖《つえ》には長く天秤棒《てんびんぼう》には短いのへ、五合樽《ごんごうだる》の空虚《から》と見えるのを、樹《き》の皮を縄《なわ》代《がわ》りにして縛《くく》しつけて、それを担《かつ》いで、夏の炎天《えんてん》ではないからよいようなものの跣足《すあし》に被《かぶ》り髪《がみ》――まるで赤く無い金太郎《きんたろう》といったような風体《ふうてい》で、急足《いそぎあし》で遣《や》って来た。
すると路《みち》の傍《そば》ではあるが、川の方へ「なだれ」になっているところ一体に桑《くわ》が仕付《しつ》けてあるその遥《はるか》に下の方の低いところで、いずれも十三四という女の児が、さすがに辺鄙《ひな》でも媚《なまめ》き立つ年頃《としごろ》だけに紅《あか》いものや青いものが遠くからも見え渡る扮装《つくり》をして、小籃《こかご》を片手に、節こそ鄙《ひな》びてはおれど清らかな高い徹《とお》る声で、桑の嫩葉《わかば》を
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