ものだ、と放下《はうげ》して仕舞つて、又そこらを見ると、床の間では無い、一方の七八尺ばかりの広い壁になつてゐるところに、其壁を何程《いくら》も余さない位な大きな古びた画の軸がピタリと懸つてゐる。何だか細かい線で描いてある横物で、打見たところはモヤ/\と煙つて居るやうなばかりだ。紅や緑や青や種※[#二の字点、1−2−22]《いろ/\》の彩色が使つてあるやうだが、図が何だとはサッパリ読めない。多分有り勝な涅槃像か何かだらうと思つた。が、看るとも無しに薄い洋燈の光に朦朧としてゐる其の画面に眼を遣つて居ると、何だか非常に綿密に楼閣だの民家だの樹だの水だの遠山だの人物だのが描いてあるやうなので、とう/\立上つて近くへ行つて観た。すると是は古くなつて処※[#二の字点、1−2−22]汚れたり損じたりしては居るが、中※[#二の字点、1−2−22]叮嚀に描かれたもので、巧拙は分らぬけれども、かつて仇十州《きうじつしう》の画だとか教へられて看たことの有るものに肖《に》た画風で、何だか知らぬが大層な骨折から出来てゐるものであることは一目に明らかであつた。そこで特《ことさら》に洋燈を取つて左の手にして其図に近※[#二の字点、1−2−22]と臨んで、洋燈を動かしては光りの強いところを観ようとする部分※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]に移しながら看た。さうし無ければ極めて繊細な画が古び煤けて居るのだから、動※[#二の字点、1−2−22]もすれば看て取ることが出来なかつたのである。
画は美《うる》はしい大江に臨んだ富麗の都の一部を描いたものであつた。図の上半部を成してゐる江《え》の彼方《むかふ》には翠色《すゐしよく》悦ぶべき遠山が見えてゐる、其手前には丘陵が起伏してゐる、其間に層塔もあれば高閤《かうかふ》もあり、黒ずんだ欝樹が蔽ふた岨もあれば、明るい花に埋められた谷もあつて、それからずつと岸の方は平らに開けて、酒楼の綺麗なのも幾戸かあり、士女老幼、騎馬の人、閑歩の人、生計にいそしんで居る負販の人、種※[#二の字点、1−2−22]雑多の人※[#二の字点、1−2−22]が蟻ほどに小さく見えてゐる。筆はたゞ心持で動いてゐるだけで、勿論其の委曲が画《か》けて居る訳では無いが、それでもおのづからに各人の姿態や心情が想ひ知られる。酒楼の下の岸には画舫《ぐわはう》もある、舫中の人などは胡麻半粒ほどであるが、やはり様子が[#「様子が」は底本では「様《さゝ》子が」]分明に見える。大江の上には帆走つてゐるやゝ大きい船もあれば、篠《さゝ》の葉形の漁舟もあつて、漁人の釣して居るらしい様子も分る。光を移して此方の岸を見ると、此方の右の方には大きな宮殿様の建物があつて、玉樹※[#「王+其」、第3水準1−88−8]花とでも云ひたい美しい樹や花が点綴してあり、殿下の庭様《にはやう》のところには朱欄曲※[#二の字点、1−2−22]と地を劃して、欄中には奇石もあれば立派な園花もあり、人の愛観を待つさま/″\の美しい禽なども居る。段※[#二の字点、1−2−22]と左へ燈光《ともしび》を移すと、大中小それ/″\の民家があり、老人《としより》や若いものや、蔬菜を荷つてゐるものもあれば、蓋《かさ》を張らせて威張つて馬に騎《の》つてゐる官人のやうなものもあり、跣足《はだし》で柳条《りうでう》に魚の鰓《あぎと》を穿《うが》つた奴をぶらさげて川から上つて来たらしい漁夫もあり、柳がところ/″\に翠烟《すゐえん》を罩《こ》めてゐる美しい道路を、士農工商|樵漁《せうぎよ》、あらゆる階級の人※[#二の字点、1−2−22]が右往左往してゐる。綺錦《ききん》の人もあれば襤褸《らんる》の人もある、冠りものをしてゐるのもあれば露頂《ろちやう》のものもある。これは面白い、春江の景色に併せて描いた風俗画だナと思つて、また段※[#二の字点、1−2−22]に燈を移して左の方へ行くと、江岸がなだらになつて川柳が扶疎《ふそ》として居り、雑樹《ざふき》がもさ/\となつて居る其末には蘆荻《ろてき》が茂つて居る。柳の枝や蘆荻の中には風が柔らかに吹いて居る。蘆のきれ目には春の水が光つて居て、そこに一艘の小舟が揺れながら浮いてゐる。船は※[#「竹かんむり/遽」、163−下−4]※[#「竹かんむり/除」、163−下−4]《あじろ》を編んで日除兼雨除といふやうなものを胴の間にしつらつてある。何やら火炉《こんろ》だの槃※[#「石+(世/木)」、第4水準2−82−46]《さら》だのの家具も少し見えてゐる。船頭の老夫《ぢいさん》は艫の方に立上つて、※[#「爿+戈」、第4水準2−12−83]※[#「爿+可」、163−下−6]《かしぐひ》に片手をかけて今や舟を出さうとしてゐながら、片手を挙げて、乗らないか乗らないかと云つて人を呼
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