/\と風の柳のやうに室へ入り込んだ大器氏に対つて、一刀をピタリと片身青眼に擬《つ》けたといふ工合に手丈夫な視線を投げかけた。晩成先生聊かたぢろいだが、元来正直な君子で仁者敵無しであるから驚くことも無い、平然として坐つて、来意を手短に述べて、それから此処を教へて呉れた遊歴者の噂をした。和尚は其姓名を聞くと、合点が行つたのかして、急にくつろいだ様子になつて、
アヽ、あの風吹烏《かざふきがらす》から聞いておいでなさつたかい。宜うござる、いつまででもおいでなさい。何室《どこ》でも明いてゐる部屋に勝手に陣取らつしやい、其代り雨は少し漏るかも知れんよ。夜具はいくらもある。綿は堅いがナ。馳走はせん、主客平等と思はつしやい。蔵海《ざうかい》、(仮設し置く)風呂は門前の弥平爺にいひつけての、明日から毎日立てさせろ。無銭《たゞ》ではわるい、一日三銭も遣はさるやうに計らへ。疲れてだらう、脚を伸ばして休息せらるゝやうにしてあげろ。
蔵海は障子を開けて庭へ面した縁へ出て導いた。後に跟いて縁側を折曲つて行くと、同じ庭に面して三ツ四ツの装飾も何も無い空室《あきま》があつて、縁の戸は光線を通ずる為ばかりに三寸か四寸位づゝすかしてあるに過ぎぬので、中はもう大に暗かつた。此室《こゝ》が宜からうといふ蔵海の言のまゝ其室の前に立つて居ると、蔵海は其処だけ雨戸を繰つた。庭の樹※[#二の字点、1−2−22]は皆雨に悩んでゐた。雨は前にも増して恐しい量で降つて、老朽《おいく》ちてジグザグになつた板廂《いたびさし》からは雨水がしどろに流れ落ちる、見ると簷《のき》の端に生えて居る瓦葦《しのぶぐさ》が雨にたゝかれて、あやまつた、あやまつたといふやうに叩頭《おじぎ》して居るのが見えたり隠れたりしてゐる。空は雨に鎖されて、たゞさへ暗いのに、夜はもう逼つて来る。中※[#二の字点、1−2−22]広い庭の向ふの方はもう暗くなつてボンヤリとしてゐる。たゞもう雨の音ばかりザアッとして、空虚にちかい晩成先生の心を一ぱいに埋め尽してゐるが、ふと気が付くと其のザアッといふ音のほかに、また別にザアッといふ音が聞えるやうだ。気を留めて聞くと慥に別の音がある。ハテナ、彼の辺か知らんと、其の別の音のする方の雨煙濛※[#二の字点、1−2−22]たる見当へ首を向けて眼を遣ると、もう心安げになつた蔵海が一寸肩に触つて、
あの音のするのが滝ですよ
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