うもり》の上にまで蔽いかぶさったかと思うほど低く這下《はいさが》って来ると、堪《たま》らない、ザアッという本降《ほんぶ》りになって、林木《りんぼく》も声を合せて、何の事はないこの山中に入って来た他国者《たこくもの》をいじめでもするように襲った。晩成先生もさすがに慌《あわ》て心《ごころ》になって少し駆け出したが、幸い取付《とりつ》きの農家は直《すぐ》に間近《まぢか》だったから、トットットッと走り着いて、農家の常の土間へ飛び込むと、傘が触って入口の檐《のき》に竿を横たえて懸け吊《つる》してあった玉蜀黍《とうもろこし》の一把《いちわ》をバタリと落した途端に、土間の隅の臼《うす》のあたりにかがんでいたらしい白い庭鳥《にわとり》が二、三羽キャキャッと驚いた声を出して走り出した。
何だナ、
と鈍《にぶ》い声をして、土間の左側の茶の間から首を出したのは、六十か七十か知れぬ白髪《しらが》の油気《あぶらけ》のない、火を付けたら心よく燃えそうに乱れ立ったモヤモヤ頭な婆さんで、皺《しわ》だらけの黄色い顔の婆さんだった。キマリが悪くて、傘を搾《すぼ》めながらちょっと会釈して、寺の在処《ありか》を尋ねた晩成先生の頭上から、じたじた水の垂れる傘のさきまでを見た婆さんは、それでもこの辺には見慣れぬ金釦《きんボタン》の黒い洋服に尊敬を表《あらわ》して、何一つ咎立《とがめだて》がましいこともいわずに、
上へ上へと行げば、じねんにお寺の前へ出ます、此処《ここ》はいわば門前村《もんぜんむら》ですから、人家さえ出抜ければ、すぐお寺で。
礼をいって大噐|氏《し》はその家を出た。雨はいよいよ甚《ひど》くなった。傘を拡げながら振返って見ると、木彫《きぼり》のような顔をした婆さんはまだこちらを見ていたが、妙にその顔が眼にしみ付いた。
間遠《まどお》に立っている七、八軒の家の前を過ぎた。どの家も人がいないように岑閑《しんかん》としていた。そこを出抜けるとなるほど寺の門が見えた。瓦《かわら》に草が生えている、それが今雨に湿《ぬ》れているので甚《ひど》く古びて重そうに見えるが、とにかくかなりその昔の立派さが偲《しの》ばれると同時に今の甲斐《かい》なさが明らかに現われているのであった。門を入ると寺内は思いのほかに廓落《からり》と濶《ひろ》くて、松だか杉だか知らぬが恐ろしい大きな木があったのを今より何年か前に斫《き》ったと見えて、大きな切株の跡の上を、今降りつつある雨がおとずれて其処《そこ》にそういうもののあることを見せていた。右手に鐘楼《しょうろう》があって、小高い基礎《いしずえ》の周囲には風が吹寄せた木の葉が黄色くまたは赭《あか》く湿《ぬ》れ色《いろ》を見せており、中ぐらいな大《おおき》さの鐘が、漸《ようや》く逼《せま》る暮色の中に、裾は緑青《ろくしょう》の吹いた明るさと、竜頭《りゅうず》の方は薄暗さの中に入っている一種の物※[#二の字点、1−2−22]《ものもの》しさを示して寂寞《じゃくまく》と懸《かか》っていた。これだけの寺だから屋《や》の棟《むね》の高い本堂が見えそうなものだが、それは回禄《かいろく》したのかどうか知らぬが眼に入らなくて、小高い処に庫裡様《くりよう》の建物があった。それを目ざして進むと、丁度《ちょうど》本堂仏殿のありそうな位置のところに礎石《そせき》が幾箇《いくつ》ともなく見えて、親切な雨が降る度《たび》に訪問するのであろう今もその訪問に接して感謝の嬉《うれ》し涙を溢《あふ》らせているように、柱の根入《ねい》りの竅《あな》に水を湛《たた》えているのが能《よ》く見えた。境内の変にからりとしている訳もこれで合点《がてん》が行って、あるべきものが亡《う》せているのだなと思いながら、庫裡へと入った。正面はぴったりと大きな雨戸が鎖《とざ》されていたから、台所口のような処が明いていたまま入ると、馬鹿にだだ濶い土間で、土間の向う隅には大きな土竈《へっつい》が見え、つい入口近くには土だらけの腐ったような草履《ぞうり》が二足ばかり、古い下駄《げた》が二、三足、特《こと》に歯の抜けた下駄の一ツがひっくり返って腹を出して死んだようにころがっていたのが、晩成先生のわびしい思《おもい》を誘った。
頼む、
と余り大きくはない声でいったのだが、がらんとした広土間《ひろどま》に響いた。しかしそのために塵一ツ動きもせず、何の音もなく静《しずか》であった。外にはサアッと雨が降っている。
頼む、
と再び呼んだ。声は響いた。答はない。サアッと雨が降っている。
頼む、
と三たび呼んだ。声は呼んだその人の耳へ反《かえ》って響いた。しかし答は何処《どこ》からも起らなかった。外はただサアッと雨が降っている。
頼む。
また呼んだ。例の如くややしばし音沙汰《おとさた》がなかった。少し焦《じ》れ気味になって、また呼ぼうとした時、鼬《いたち》か大鼠《おおねずみ》かが何処《どこ》かで動いたような音がした。するとやがて人の気はいがして、左方の上《あが》り段の上に閉じられていた間延《まの》びのした大きな障子が、がたがたと開かれて、鼠木綿が斑汚《むらよご》れした着附《きつけ》に、白が鼠になった帯をぐるぐるといわゆる坊主巻《ぼうずまき》に巻いた、五分苅《ごぶがり》ではない五分|生《ば》えに生えた頭の十八か九の書生のような僮僕《どうぼく》のような若僧が出て来た。晩成先生も大分《だいぶ》遊歴に慣れて来たので、此処《ここ》で宿泊謝絶などを食わせられては堪《たま》らぬと思うので、ずんずんと来意を要領よく話して、白紙に包んだ多少銭《なにがし》かを押付けるように渡してしまった。若僧はそれでも坊主らしく、
しばらく、
と、しかつめらしく挨拶を保留して置いて奥へ入った。奥は大分深いかして何の音も聞えて来ぬ、シーンとしている。外では雨がサアッと降っている。
土間の中の異《ことな》った方で音がしたと思うと、若僧は別の口から土間へ下りて、小盥《こだらい》へ水を汲んで持って来た。
マ、とにかく御すすぎをなさって御上《おあが》りなさいまし。
しめたと思って晩成先生|泥靴《どろぐつ》を脱ぎ足を洗って導かるるままに通った。入口の室《へや》は茶の間と見えて大きな炉《ろ》が切ってある十五、六畳の室であった。そこを通り抜けて、一畳|幅《はば》に五畳か六畳を長く敷いた入側《いりかわ》見たような薄暗い部屋を通ったが、茶の間でもその部屋でも処※[#二の字点、1−2−22]《しょしょ》で、足踏《あしぶみ》につれてポコポコと弛《ゆる》んで浮いている根太板《ねだいた》のヘンな音がした。
通されたのは十畳位の室で、そこには大きな矮《ひく》い机を横にしてこちらへ向直《むきなお》っていた四十ばかりの日に焦《や》けて赭《あか》い顔の丈夫そうなズク入《にゅう》が、赤や紫の見える可笑《おか》しいほど華美《はで》ではあるがしかしもう古びかえった馬鹿に大きくて厚い蒲団《ふとん》の上に、小さな円《まる》い眼を出来るだけ※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]開《そうかい》してムンズと坐り込んでいた。麦藁帽子を冠《かぶ》らせたら頂上《てっぺん》で踊《おどり》を踊りそうなビリケン頭《あたま》に能《よ》く実《み》が入っていて、これも一分苅ではない一分生えの髪に、厚皮《あつかわ》らしい赭い地《じ》が透いて見えた。そしてその割合に小さくて素敵に堅そうな首を、発達の好い丸※[#二の字点、1−2−22]《まるまる》と肥《ふと》った豚のような濶《ひろ》い肩の上にシッカリすげ込んだようにして、ヒョロヒョロと風の柳のように室へ入り込んだ大噐氏に対《むか》って、一刀《いっとう》をピタリと片身《かたみ》青眼《せいがん》に擬《つ》けたという工合に手丈夫《てじょうぶ》な視線を投げかけた。晩成先生|聊《いささ》かたじろいだが、元来正直な君子《くんし》で仁者《じんしゃ》敵なしであるから驚くこともない、平然として坐って、来意を手短に述べて、それから此処《ここ》を教えてくれた遊歴者の噂をした。和尚《おしょう》はその姓名を聞くと、合点が行ったのかして、急にくつろいだ様子になって、
アア、あの風吹烏《かざふきがらす》から聞いておいでなさったかい。宜《よ》うござる、いつまででもおいでなさい。何室《どこ》でも明いている部屋に勝手に陣取らっしゃい、その代り雨は少し漏《も》るかも知れんよ。夜具はいくらもある、綿は堅いがナ。馳走はせん、主客《しゅかく》平等と思わっしゃい。蔵海《ぞうかい》、(仮設し置く)風呂は門前の弥平爺《やへいじい》にいいつけての、明日《あす》から毎日立てさせろ。無銭《ただ》ではわるい、一日に三銭も遣《つか》わさるように計らえ。疲れてだろう、脚を伸ばして休息せらるるようにしてあげろ。
蔵海は障子を開けて庭へ面した縁へ出て導いた。後《あと》に跟《つ》いて縁側を折曲《おれまが》って行くと、同じ庭に面して三ツ四ツの装飾も何もない空室《あきま》があって、縁の戸は光線を通ずるためばかりに三|寸《ずん》か四寸位ずつすかしてあるに過ぎぬので、中はもう大《おおい》に暗かった。此室《ここ》が宜《よ》かろうという蔵海の言《ことば》のままその室の前に立っていると、蔵海は其処《そこ》だけ雨戸を繰《く》った。庭の樹※[#二の字点、1−2−22]《きぎ》は皆雨に悩んでいた。雨は前にも増して恐しい量で降って、老朽《おいく》ちてジグザグになった板廂《いたびさし》からは雨水がしどろに流れ落ちる、見ると簷《のき》の端に生えている瓦葦《しのぶぐさ》が雨にたたかれて、あやまった、あやまったというように叩頭《おじぎ》しているのが見えたり隠れたりしている。空は雨に鎖《とざ》されて、たださえ暗いのに、夜はもう逼《せま》って来る。なかなか広い庭の向うの方はもう暗くなってボンヤリとしている。ただもう雨の音ばかりザアッとして、空虚にちかい晩成先生の心を一ぱいに埋《う》め尽しているが、ふと気が付くとそのザアッという音のほかに、また別にザアッという音が聞えるようだ。気を留めて聞くと慥《たしか》に別の音がある。ハテナ、あの辺か知らんと、その別の音のする方の雨煙|濛※[#二の字点、1−2−22]《もうもう》たる見当《けんとう》へ首を向けて眼を遣《や》ると、もう心安げになった蔵海がちょっと肩に触って、
あの音のするのが滝ですよ、貴方《あなた》が風呂に立てて入ろうとなさる水の落ちる……
といいさして、少し間《ま》を置いて、
雨が甚《ひど》いので今は能《よ》く見えませんが、晴れていればこの庭の景色の一ツになって見えるのです。
といった。なるほど庭の左の方の隅は山嘴《さんし》が張り出していて、その樹木の鬱蒼《うっそう》たる中から一条の水が落ちているのらしく思えた。
夜に入った。茶の間に引かれて、和尚と晩成先生と蔵海とは食事を共にした。なるほど御馳走はなかった。冷《つめた》い挽割飯《ひきわりめし》と、大根《だいこ》ッ葉《ぱ》の味噌汁と、塩辛《しおから》く煮た車輪麩《くるまぶ》と、何だか正体の分らぬ山草の塩漬《しおづけ》の香《こう》の物《もの》ときりで、膳こそは創《きず》だらけにせよ黒塗《くろぬり》の宗和膳《そうわぜん》とかいう奴で、御客あしらいではあるが、箸《はし》は黄色な下等の漆《うるし》ぬりの竹箸で、気持の悪いものであった。蔵海は世間に接触する機会の少いこの様な山中にいる若い者なので、新来の客から何らかの耳新らしい談を得たいようであるが、和尚は人に求められれば是非ないからわが有《も》っている者を吝《おし》みはしないが、人からは何をも求めまいというような態度で、別に雑話《ぞうわ》を聞きたくも聞かせたくも思っておらぬ風《ふう》で、食事が済んで後、少時《しばらく》三人が茶を喫《きっ》している際でも、別に会話をはずませる如きことはせぬので、晩成先生はただ僅《わずか》に、この寺が昔時《むかし》は立派な寺であったこと、寺の庭のずっと先は渓川《たにがわ》で、その渓の向うは高い巌壁になっていること、庭の左方も山になっていること、寺及び門前の村
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