に※[#「やまいだれ+瞿」、第3水準1−88−62]《や》せた病躯を運んだ。それは旅中で知合《しりあい》になった遊歴者、その時分は折節そういう人があったもので、律詩《りっし》の一、二章も座上で作ることが出来て、ちょっと米法山水《べいほうさんすい》や懐素《かいそ》くさい草書《そうしょ》で白《しろ》ぶすまを汚《よご》せる位の器用さを持ったのを資本《もとで》に、旅から旅を先生顔で渡りあるく人物に教えられたからである。君はそういう訳で歩いているなら、これこれの処にこういう寺がある、由緒は良くても今は貧乏寺だが、その寺の境内《けいだい》に小さな滝があって、その滝の水は無類の霊泉である。養老の霊泉は知らぬが、随分響き渡ったもので、二十里三十里をわざわざその滝へかかりに行くものもあり、また滝へ直接《じか》にかかれぬものは、寺の傍《そば》の民家に頼んでその水を汲んで湯を立ててもらって浴《よく》する者もあるが、不思議に長病が治ったり、特《こと》に医者に分らぬ正体の不明な病気などは治るということであって、語り伝えた現の証拠はいくらでもある。君の病気は東京の名医たちが遊んでいたら治るといい、君もまた遊び気分
前へ
次へ
全44ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング