て、甚だしい茶目吉《ちゃめきち》一、二人のほかは、無言の同情を寄せるに吝《やぶさか》ではなかった。
 ところが晩成先生は、多年の勤苦が酬《むく》いられて前途の平坦|光明《こうみょう》が望見《ぼうけん》せらるるようになった気の弛《ゆる》みのためか、あるいは少し度の過ぎた勉学のためか何か知らぬが気の毒にも不明の病気に襲われた。その頃は世間に神経衰弱という病名が甫《はじ》めて知られ出した時分であったのだが、真にいわゆる神経衰弱であったか、あるいは真に漫性胃病であったか、とにかく医博士《いはかせ》たちの診断も朦朧《もうろう》で、人によって異《ことな》る不明の病《やまい》に襲われて段※[#二の字点、1−2−22]衰弱した。切詰《きりつ》めた予算だけしか有しておらぬことであるから、当人は人一倍|困悶《こんもん》したが、どうも病気には勝てぬことであるから、暫《しばら》く学事を抛擲《ほうてき》して心身の保養に力《つと》めるが宜《よ》いとの勧告に従って、そこで山水清閑の地に活気の充ちた天地の※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1−87−32]気《こうき》を吸うべく東京の塵埃《じんあい》を背後《うしろ》に
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