く》の叔父さんにでも当る者に無学文盲のこの男があったのではあるまいかと思われた。オーイッと呼《よば》わって船頭さんは大きな口をあいた。晩成先生は莞爾《かんじ》とした。今行くよーッと思わず返辞をしようとした。途端に隙間を漏《も》って吹込んで来た冷たい風に燈火《ともしび》はゆらめいた。船も船頭も遠くから近くへ飄《ひょう》として来たが、また近くから遠くへ飄として去った。唯《ただ》これ一瞬の事で前後はなかった。
屋外《そと》は雨の音、ザアッ。
大噐晩成先生はこれだけの談《はなし》を親しい友人に告げた。病気はすべて治った。が、再び学窓にその人は見《あら》われなかった。山間水涯《さんかんすいがい》に姓名を埋《うず》めて、平凡人となり了《おお》するつもりに料簡をつけたのであろう。或《ある》人は某地にその人が日に焦《や》けきったただの農夫となっているのを見たということであった。大噐|不成《ふせい》なのか、大噐|既成《きせい》なのか、そんな事は先生の問題ではなくなったのであろう。
[#地から1字上げ](大正十四年七月)
底本:「幻談・観画談 他三篇」岩波文庫、岩波書店
1990(平成2)年11月16日第1刷発行
1994(平成6)年5月15日第6刷発行
底本の親本:「露伴全集 第四巻」岩波書店
1953(昭和28)年3月刊
入力:土屋隆
校正:オーシャンズ3
2008年1月15日作成
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