、タンタン、タカタカタンというところだが、賢い奴は猿面冠者の藤吉郎で、二十何万石という観覧料を払った代り一等席に淀君《よどぎみ》と御神酒徳利《おみきどくり》かなんかで納まりかえって見物して居るのであった。しかも洗って見れば其の観覧料も映画中の一方の役者たる藤次郎政宗さんから実は巻上げたものであった。
 木村伊勢領内一揆|蜂起《ほうき》の事は、氏郷から一面秀吉ならびに関東押えの徳川家康に通報し、一面は政宗へ、土地案内者たる御辺は殿下の予《かね》ての教令により出陣征伐あるべし、と通牒《つうちょう》して置て、氏郷が出陣したことは前に述べた通りであった。五日は出発、猪苗代泊り、六日は二本松に着陣した。伊達政宗は米沢から板谷の山脈を越えてヌッと出て来た。其の兵数は一万だったとも一万五千だったとも云われて居る。氏郷勢よりは多かったので、兵が少くては何をするにも不都合だからであることは言うまでも無い。板谷山脈を越えれば直《すぐ》に飯坂だ。今は温泉場として知られて居るが、当時は城が有ったものと見える。政宗は本軍を飯坂に据えて、東の方《かた》南北に通って居る街道を俯視《ふし》しつつ氏郷勢を待った。氏郷の
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