生れ代り、明の王陽明は入定僧《にゅうじょうそう》の生れ代り、陽明先生の如きは御丁寧にも其入定僧の屍骸《しがい》に直《じき》に対面をされたとさえ伝えられている。二生《にしょう》の人というのは転生を信じた印度に行われた古い信仰で、大抵二生の人は宿智即ち前生修行の力によって聡明《そうめい》であり、宿福即ち前世善根の徳によって幸福であり、果報広大、甚だ貴《たっと》ぶべき者とされて居る。政宗の生るる前、米沢の城下に行いすまして居た念仏行者が有って満海と云った。満海が死んで、政宗が生れた。政宗は左の掌《たなごころ》に満海の二字を握って誕生した。だから政宗は満海の生れ代りであろうと想われ、そして梵天丸という幼名はこれに因りて与えられた。梵天は此世の統治者で、二生の人たる嬰児《えいじ》の将来は、其の前生の唱名不退の大功徳によって梵天の如くにあるべしという意からの事だ。満海の生れ代りということを保証するのは御免|蒙《こうむ》りたいが、梵天丸という幼名だったことは虚誕では無く、又其名が梵天|帝釈《たいしゃく》に擬した祝福の意であったろう事も想察される。思うに伊達家の先人には陸奥介行宗《むつのすけゆきむね》
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