ことを聞いて感涙を墜《おと》したというのも、何だか一寸考えどころの有るようだが、全くの感涙とも思われる。すべてに於て想察の纏《まと》まるような材料は無い。秀吉が憎んだ佐々成政の三蓋笠《さんがいがさ》の馬幟《うまじるし》を氏郷が請うて、熊の棒という棒鞘《ぼうざや》に熊の皮を巻付けたものに替えたのは、熊の棒が見だてが無かったからと、且は驍勇《ぎょうゆう》の名を轟《とどろ》かした成政の用いたものを誰も憚《はばか》って用いなかったからとで有ったろうが、秀吉に取って面白い感じを与えたか何様《どう》か、有らずもがなの事だった。然し勿論そんな些事《さじ》を歯牙《しが》に掛ける秀吉では無い。秀吉が氏郷を遇するに別に何も有った訳では無い、ただ特《こと》に之を愛するというまでに至って居らずに聊《いささ》か冷やかであったというまでである。細川忠興が会津の鎮守を辞退したというのは信じ難い談だが、忠興が別に咎立《とがめだて》もされず此の難い役を辞したとすれば、忠興は中々手際の好い利口者である。
氏郷が政宗の後の会津を引受けさせられたと同じ様に、織田|信雄《のぶかつ》は小田原陣の済んだ時に秀吉から徳川家康の後の
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