もみうら》打ったる鎧下《よろいした》、色々糸縅《いろいろおどし》の鎧、小梨打《こなしうち》の冑《かぶと》、猩々緋《しょうじょうひ》の陣羽織して、手鑓《てやり》提《ひっさ》げ、城内に駈入り鑓を合せ、目覚ましく働きて好き首を取ったのは、猛《たけ》きばかりが生命《いのち》の武者共にも嘆賞の眼を見張らさせた。名古屋は尾州の出で、家の規模として振袖《ふりそで》の間に一[#(ト)]高名してから袖を塞《ふさ》ぐことに定まって居たとか云う。当時此戦の功を讃えて、鎗仕《やりし》鎗仕は多けれど名古屋山三は一の鎗、と世に謡われたということだが、正《まさ》に是《これ》火裏《かり》の蓮華《れんげ》、人の眼《まなこ》を快うしたものであったろう。或は山三の先登は此の翌年、天正十九年九戸政実を攻めた時だともいうが、其時は氏郷のみでは無く、秀次、徳川、堀尾、浅野、伊達、井伊等大軍で攻めたのだから、何も氏郷が小小姓まで駈出させることは無かったろう。此の戦は瞬間に攻落すことを欲したから、北村、名古屋の輩までに力を出させたのである。それは兎もあれ角もあれ、敵も一生懸命に戦ったから、蒲生勢にも道家孫一、粟井六右衛門、町野新兵衛
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