《いっき》の籠《こも》った敵城があった。それは四竈《しかま》、中新田《なかにいだ》など云うのであった。氏郷の勢に怖れて抵抗せずに城を開いて去ったので、中新田に止《とど》まり、氏郷は城の中に、政宗は城より七八町|距《へだ》たった大屋敷に陣取ったから、氏郷の先隊四将は本隊を離れて政宗の営の近辺に特に陣取った。無論政宗を監視する押えであった。此の中新田附近は最近、即ち足掛四年前の天正十五年正月に戦場となった処で、其戦は伊達政宗の方の大敗となって、大崎の隣大名たる葛西左京太夫晴信が使を遣わして慰問したのはまだしも、越後の上杉景勝からさえ使者を遣《よこ》して特に慰問されたほど諸方に響き渡り、又反覆常無き大内定綱は一度政宗に降参した阿子島民部を誘って自分に就かせたほど、伊達の威を落したものだった。それは大崎の大崎義隆の臣の里見隆景から事起って、隆景が義隆をして同じ大崎の巨族たる岩出山の城主氏家弾正を殺させんとしたので、弾正が片倉小十郎に因って政宗に援を請うたところから紛糾した大崎家の内訌《ないこう》が、伊達対大崎の戦となり、伊達が勝てば氏家弾正を手蔓《てづる》にして大崎を呑んで終《しま》おうという
前へ 次へ
全153ページ中115ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング