生れ代り、明の王陽明は入定僧《にゅうじょうそう》の生れ代り、陽明先生の如きは御丁寧にも其入定僧の屍骸《しがい》に直《じき》に対面をされたとさえ伝えられている。二生《にしょう》の人というのは転生を信じた印度に行われた古い信仰で、大抵二生の人は宿智即ち前生修行の力によって聡明《そうめい》であり、宿福即ち前世善根の徳によって幸福であり、果報広大、甚だ貴《たっと》ぶべき者とされて居る。政宗の生るる前、米沢の城下に行いすまして居た念仏行者が有って満海と云った。満海が死んで、政宗が生れた。政宗は左の掌《たなごころ》に満海の二字を握って誕生した。だから政宗は満海の生れ代りであろうと想われ、そして梵天丸という幼名はこれに因りて与えられた。梵天は此世の統治者で、二生の人たる嬰児《えいじ》の将来は、其の前生の唱名不退の大功徳によって梵天の如くにあるべしという意からの事だ。満海の生れ代りということを保証するのは御免|蒙《こうむ》りたいが、梵天丸という幼名だったことは虚誕では無く、又其名が梵天|帝釈《たいしゃく》に擬した祝福の意であったろう事も想察される。思うに伊達家の先人には陸奥介行宗《むつのすけゆきむね》の諡《おくりな》が念海、大膳太夫持宗が天海などと海の字の付く人が多かったから、満海の談《はなし》も何か夫等《それら》から出た語り歪めではあるまいか。都《す》べての奇異な談は大概浅人妄人無学者好奇者が何か一寸した事を語り歪めるから起るもので、語り歪めの大好物な人は現在そこらに沢山転がっている至ってお廉《やす》いしろ物であるから、奇異な談は出来|傍題《ほうだい》だ。何はあれ梵天丸で育ち、梵天丸で育てられ、片倉小十郎の如き傑物に属望されて人となった政宗は立派な一大怪物だ。人取る魔の淵は音を立てぬ、案外おとなしく秀吉の前では澄ましかえったが、其の底知れぬ深さの蒼い色を湛《たた》えた静かな淵には、馬も呑めば羽をも沈めようという※[#「さんずい+回」、第3水準1−86−65]《まき》を為して居るのである。不気味千万な一怪物である。
 此の政宗は確に一怪物である。然し一怪物であるからとて其の政宗を恐れるような氏郷では無い。※[#「さんずい+回」、第3水準1−86−65]の水の巻く力は凄《すさま》じいものだが、水の力には陰もある陽《おもて》もある、吸込みもすれば湧上りもする。能《よ》く水を知る者は水を制することを会《え》して水に制せらるることを為さぬ。魔の淵で有ろうとも竜宮へ続く渦で有ろうとも、怖るることは無い。況《いわ》んや会津へ来た初より其政宗に近づくべく運命を賦与されて居るのであり、今は正《まさ》に其男に手を差出して触れるべき機会に立ったのである。先方の出す手が棘々満面《とげとげだらけ》の手だろうが粘滑油膩《ぬらぬらあぶら》の手だろうが鱗《うろこ》の生えた手だろうが蹼《みずかき》の有る手だろうが、何様《どん》な手だろうが構わぬ、ウンと其手を捉えて引ずり出して淵のヌシの正体を見届けねばならぬのである。秀吉は氏郷政宗に命令して置いた。新規平定の奥羽の事、一揆《いっき》騒乱など起ったる場合は、政宗は土地案内の者、政宗を先に立て案内者として共に切鎮《きりしず》めよ、という命令を下して置いた。で、氏郷は其命の通り、サア案内に立て、と政宗に掛らねばならぬのであった。其の案内人が甚だ怪しい物騒千万なもので、此方から差出す手を向うから引捉《ひっつか》んで竜宮の一町日あたりへ引込もうとするか何様かは知れたもので無いのである。此の処活動写真の、次の映画幕は何《ど》の様な光景を展開するか、タカタカ、タンタン、タカタカタンというところだが、賢い奴は猿面冠者の藤吉郎で、二十何万石という観覧料を払った代り一等席に淀君《よどぎみ》と御神酒徳利《おみきどくり》かなんかで納まりかえって見物して居るのであった。しかも洗って見れば其の観覧料も映画中の一方の役者たる藤次郎政宗さんから実は巻上げたものであった。
 木村伊勢領内一揆|蜂起《ほうき》の事は、氏郷から一面秀吉ならびに関東押えの徳川家康に通報し、一面は政宗へ、土地案内者たる御辺は殿下の予《かね》ての教令により出陣征伐あるべし、と通牒《つうちょう》して置て、氏郷が出陣したことは前に述べた通りであった。五日は出発、猪苗代泊り、六日は二本松に着陣した。伊達政宗は米沢から板谷の山脈を越えてヌッと出て来た。其の兵数は一万だったとも一万五千だったとも云われて居る。氏郷勢よりは多かったので、兵が少くては何をするにも不都合だからであることは言うまでも無い。板谷山脈を越えれば直《すぐ》に飯坂だ。今は温泉場として知られて居るが、当時は城が有ったものと見える。政宗は本軍を飯坂に据えて、東の方《かた》南北に通って居る街道を俯視《ふし》しつつ氏郷勢を待った。氏郷の
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