しかも利休門下の高足であった。氏郷と仲の好かった細川忠興は、茶庭の路次の植込に槙《まき》の樹などは面白いが、まだ立派すぎる、と云ったという程に侘《わび》の趣味に徹した人だが、氏郷も幽閑清寂の茶旨には十分に徹した人であった。利休が心《こころ》窃《ひそ》かに自ら可なりとして居た茶入を氏郷も目が高いので切《しき》りに賞美して之を懇望し、遂に利休をして其を与うるを余儀無くせしめたという談も伝えられている。又氏郷が或時に古い古い油を運ぶ竹筒を見て、其の器を面白いと感じ、それを花生《はないけ》にして水仙の花を生け、これも当時風雅を以て鳴って居た古田織部に与えたという談が伝わっている。織部は今に織部流の茶道をも花道をも織部好みの建築や器物の意匠をも遺して居る人で、利休に雁行すべき侘道の大宗匠であり、利休より一段簡略な、侘に徹した人である。氏郷の其の花生の形は普通に「舟」という竹の釣花生に似たものであるが、舟とは少し異ったところがあるので、今に其形を模した花生を舟とは云わずに、「油さし」とも「油筒」とも云うのは最初の因縁から起って来て居るのである。古い油筒を花生にするなんというのは、もう風流に於て普通を超えて宗匠分になって居なくては出来ぬ作略《さりゃく》で、宗匠の指図や道具屋の入れ智慧を受取って居る分際の茶人の事では無い。彼の山科《やましな》の丿貫《べちかん》という大の侘茶人が糊《のり》を入れた竹器に朝顔の花を生けて紹鴎《じょうおう》の賞美を受け、「糊つぼ」という一器の形を遺したと共に、作略|無礙《むげ》の境界《きょうがい》に入っている風雅の骨髄を語っているものである。天下指折りの大名で居ながら古油筒のおもしろみを見付けるところは嬉しい。山県含雪公は、茶の湯は道具沙汰に囚《とら》われるというので半途から余り好まれぬようになったと聞いたが、時に利休も無く織部も無かった為でも有ろうけれど、氏郷がわびの趣味を解して油筒を花器に使うまで踏込《ふんご》んで居たのは利休の教を受けた故ばかりではあるまい、慥《たしか》に料簡《りょうけん》の据え処を合点して何にも徹底することの出来る人だったからであろう。しかも油筒如き微物を取上げるほどの細かい人かと思えば、細川越中守が不覚に氏郷所有の佐々木の鐙《あぶみ》を所望した時には、それが蒲生重代の重器で有ったに拘《かかわ》らず、又家臣の亘《わたり》利八右衛門という者が、御許諾なされた上は致方なけれども御当家重代の物ゆえに、ただ模品《うつし》をこしらえて御遣わしなされまし、と云ったほどにも拘らず、天下に一ツの鐙故他に知る者は有るまいけれど、模品を遣わすなどとは吾《わ》が心が耻《はず》かしい、と云って真物を与えた。そこで忠興も後に吾が所望したことが不覚《そぞろ》であったことを悟って、返そうとしたところが、氏郷は、一旦差上げたものなれば御遠慮には及ばぬ、と受取らなかった。忠興も好い人だから、氏郷の死後に其子秀行へとうとう返戻したという談《はなし》がある。竹の油筒を掘り出して賞美するかと思えば、ケチでは無い人だ、家重代の者をも惜気無く親友の所望には任せる。中々面白い心の行きかたを有《も》った人だった。
さて話は前へ戻る。是《かく》の如き忠三郎氏郷は秀吉に見立てられて会津の主人となった。当時氏郷は何万石取って居たか分明でないが、松坂に居た天正十六年は十六万石|若《もし》くは十八万石であったというから、其後は大戦も無く大功も立つ訳が無いから、大抵十八万石か少し其《それ》以上ぐらいで有ったろう。然るに小田原陣の手柄が有って後に会津に籠《こ》めらるるに就ては、大沼、河沼、稲川、耶摩《やま》、猪苗代《いなわしろ》、南の山以上六郡、越後の内で小川の庄、仙道には白河、石川、岩瀬、安積《あさか》、安達、二本松以上六郡、都合十二郡一庄で、四十二万石に封ぜられたのだ。十八万石程から一足飛に四十二万石の大封を賜わったのだから、たとい大役を引受けさせられたとは云え、奥州出羽の押えという名誉を背負い、目覚ましい加禄《かろく》を得たので、家臣連の悦《よろこ》んだろうことは察するに余りある。これは八月十七日の事と云われている。
丁度仲秋の十六夜の後一日である。秋は早い奥州の会津の城内、氏郷は独り書院の柱に倚《よ》って物を思って居た。天は高く晴れ渡って碧落《へきらく》に雲無く、露けき庭の面の樹も草もしっとりとして、おもむきの有る夜の静かさに虫の声々すずしく、水にも石にも月の光りが清く流れて白く、風流に心あるものの幽懐も動く可き折柄の光景だった。北越の猛将上杉謙信が「数行[#(ノ)]過雁月三更」と能登の国を切従えた時吟じたのも、霜は陣営に満ちて秋気清き丁度|斯様《こう》いう夜であった。三国の代の英雄の曹孟徳が、百万の大軍を率いて呉の国を呑滅《どんめつ》しよ
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