合せて重瞳《ちょうどう》と隻眼と相射った時、ウム、面白そうな奴、話せそうな奴、と相愛したことは疑無い。だが、お互に愛しきったか何様だか、イヤお互に底の底までは愛しきれなかったに違無い。政宗は秀吉の男ぶりに感じて之を愛したには相違ないが、帰ってから人に語って、其の底の底までは愛しきらぬところを洩《もら》したことは、尭雄僧都話《ぎょうゆうそうずばなし》に見えて居るとされている。秀吉も政宗の押えに彼《か》の手強《てごわ》な蒲生氏郷を置いたところは、愛してばかりは居なかった証拠だ。藤さんと藤さんとお互に六分は愛し、四分は余白を留《とど》めて居たのである。戦乱の世の事だ、孰《いず》れにも無理は無いと為すべきだ。
関白が政宗に佩刀《はいとう》を預けて山へ上って小田原攻の手配りを見せた談《はなし》などは今|姑《しばら》く措《お》く。さて政宗は米沢三十万石に削られて帰国した。七十万石であったという説もあるが、然様《そう》いうことは考証家の方へ預ける。秀吉が政宗の帰国を許したに就ては、秀吉の左右に、折角山を出て来た虎を復《ふたた》び深山に放つようなものである、と云った者があるということだ。そんなことを云った者は多分石田左吉の輩ででもあろう。其時秀吉は笑って、おれは弓箭沙汰《きゅうせんざた》を用いないで奥羽を平定して終《しま》うのだ、汝等の知るところでは無い、と云ったというが、実に其辺は秀吉の好いところだ。政宗だとて何で一旦関白面前に出た上で、復《また》今更に牙《きば》をむき出し毛を逆立てて咆哮《ほうこう》しようやである。
小田原は果して手強い手向いもせず、埒《らち》も無く軍気が沮喪《そそう》して自ら保てなくなり、終《つい》に開城するの已むを得ざるに至った。秀吉は何をするのも軽々と手早い大将だ、小田原が済むと直《すぐ》に諸将を従えて奥州へと出掛けた。威を示して出羽奥州一[#(ト)]撫でに治めて終おうというのである。政宗が服したのであるから刃向おうという者は無い。秀吉が宇都宮に宿営した時に政宗は片倉小十郎を従えて迎接した。小十郎は大谷吉隆に就いて主家を悪く秀吉に思取られぬよう行届いた処置をした。吉隆も人物だ。小十郎が会津蘆名の旧領地の図牒《ずちょう》の入って居る筐《はこ》を開いて示した時には黙って開かせながら、米沢の伊達旧領の図牒の入っている筐を小十郎が開いて示そうとした時には、イヤそれには及び申さぬ、と挨拶したという。大谷吉隆に片倉景綱、これも好い取組だ。互に抜目の無い挙動応対だったろう。秀吉の前に景綱も引見された時、吉隆が、会津の城御引渡しに相成るには幾日を以てせらるる御積りか、と問うたら、小十郎は、ただ留守居の居るばかりでござる、何時にても差支はござらぬ、と云ったというが、好い挨拶だ。平生行届いていて、事に当って埒の明く人であることが伺われる。これで其上に剛勇で正実なのだから、秀吉が政宗の手から取って仕舞いたい位に思ったろう、大名に取立てようとした。が、小十郎は恩を謝するだけで固辞して、飽迄伊達家の臣として身を置くを甘んじた。これも亦感ずべきことで、何という立派な其人柄だろう。浅野六右衛門正勝、木村弥一右衛門清久は会津城を受取った。七月に小田原を潰《つぶ》して、八月には秀吉はもう政宗の居城だった会津に居た。土地の歴史上から云えば会津は蘆名に戻さるべきだが、蘆名は一度もう落去したのである、自己の地位を自己で保つ能力の欠乏して居ることを現わして居るものである。此の枢要《すうよう》の地を材略武勇の足らぬものに托《たく》して置くことは出来ぬ。まして伊達政宗が連年血を流し汗を瀝《したた》らして切取った上に拠ったところの地で、いやいやながら差出したところであり、人情として涎《よだれ》を垂らし頤《あご》を朶《た》れて居るところである、又|然《さ》なくとも崛強《くっきょう》なる奥州の地武士が何を仕出さぬとも限らぬところである、また然様いう心配が無くとも広闊《こうかつ》な出羽奥州に信任すべき一雄将をも置かずして、新付《しんぷ》の奥羽の大名等の誰にもせよに任かせて置くことは出来ぬところである。是《ここ》に於て誰か知ら然る可き人物を会津の主将に据えて、奥州出羽の押えの大任、わけては伊達政宗をのさばり出さぬように、表はじっとりと扱って事端を発させぬように、内々はごっつりと手強くアテテ屏息《へいそく》させるような、シッカリした者を必要とするのである。
此のむずかしい場処の、むずかしい場合の、むずかしい役目を引受けさせられたのが鎮守府将軍田原|藤太秀郷《とうだひでさと》の末孫《ばっそん》と云われ、江州《ごうしゅう》日野の城主から起って、今は勢州松坂に一方の将軍星として光を放って居た蒲生忠三郎氏郷であった。
氏郷が会津の守護、奥州出羽の押えに任ぜられたに就ては面白
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