。氏郷が名生の城を攻めるに手間取って居たならば、名生の城で相図の火を挙げる、其時宮沢、岩手山、古川、松山四ヶ処の城々より一揆《いっき》勢は繰出し、政宗と策応して氏郷勢を鏖殺《おうさつ》し、氏郷武略|拙《つたな》くて一揆の手に斃《たお》れたとすれば、木村父子は元来論ずるにも足らず、其後一揆共を剛、柔、水、火の手段にあしらえば、奥州は次第に掌《たなごころ》の大きい者の手へ転げ込むのであった。然し名生の城は気息《いき》も吐けぬ間に落されて終って、相図の火を挙げる暇《いとま》なぞも無く、宮沢、岩手山等四ヶ処の城々の者共は、策応するも糸瓜《へちま》も無く、却《かえっ》て氏郷の雄威に腰を抜かされて終った。
政宗は氏郷へ使を立てた。名生を攻められ候わばそれがしへも一方仰付けられたく候いしに、かくては京都への聞えも如何と残念に候、と云うのであった。氏郷の返辞はアッサリとして妙を極めたものであった。此の敵城あることをば某《それがし》も存ぜず候間に、先手の者ども、はや攻落して候、と空嘯《そらうそぶ》いて片付けて置いて、扨《さて》それからが反対に政宗の言葉に棒を刺して拗《こじ》って居る。京都への聞え、御心づかいにも及び申すまじく候、此の向うに宮沢とやらん申す敵城の候、それを攻められ候え、然るべく聞え候わむ、というのであった。政宗は違儀も出来ない。宮沢の城へ寄せたが、もとより政宗の兵力宮沢の城の攻潰《せめつぶ》せぬことは無いに関らず、人目ばかりに鉄砲を打つ位の事しか為無《しな》かった。宮沢の城将岩崎隠岐は後に政宗に降った。
明日は高清水を屠《ほふ》って終おうと氏郷は意を洩《も》らした。名生の一戦は四方を震駭《しんがい》して、氏郷の頼むに足り又|畏《おそ》るるに足る雄将である事を誰にも思わせたろう。特《こと》に政宗方に在って、一揆の方の様子をも知り、政宗の画策をも知っていた者に取っては、驚くべき人だと思わずには居られなかったろう。そこで政宗に心服して居る者はとに角、政宗に対して予《かね》てからイヤ気を持って居た者は、政宗に付いて居るよりも氏郷に随身した方が吾《わ》が行末も頼もしい、と思うに至るのも不思議では無い。ここに政宗に取っては厄介の者が出て来た。それは政宗の臣の須田|伯耆《ほうき》という者で、伯耆の父の大膳という者は政宗の父輝宗の臣であった。輝宗が二本松義継に殺された時、後藤基信が殉死しようとしたのを政宗は制した位で、政宗は殉死を忌嫌ったけれど、其基信も須田大膳も、馬場右衛門という人も遂に殉死して終った。殉死の是非は別として、不忠の心から追腹は切られぬ。大膳の殉死は輝宗に対する忠誠に出でたのだ。ところが殉死を忌嫌う政宗の意は非とすべきでは無いが、殉死を忌む余りに殉死した者をも悪《にく》んだ。で、大膳は狂者のように謂《い》われ、大膳の子たる伯耆まで冷遇さるるに至った。父が忠誠で殉死したのである、其子は優遇されなくても普通には取扱われても然るべきだが、主人の意に負《そむ》いたと云う廉《かど》であろう、伯耆は自ら不遇であることを感じたから、何につけ彼《か》につけ、日頃不快に思っていた。これも亦凡人である以上は人情の当《まさ》に然るべきところだ。氏郷の大将振り、政宗の処置ぶり、自分が到底政宗に容れられないで行末の頼もしからぬことなどを思うと、今にして政宗を去って氏郷に附いた方が賢いと思った。丁度其家を思わぬでは無い良妻も、夫の愛を到底得ぬと思うと、誘う水に引かれて横にそれたりなぞするのと同じことである。人情といい世態という者は扨々なさけ無いものだ。大忠臣の子は不忠者になって政宗に負いたのである。
そこで其十九日の夜深《よふか》に須田伯耆は他の一人と共に逃げ込んで来て、蒲生源左衛門を頼んだ。ただ来たところで容れられる訳は無いから、飛んでもない手土産を持って来た。それは政宗と一揆方との通謀の証拠になる数通の文書であった。逃げて来た二人の名は蒲生方の記には山戸田八兵衛、牛越宗兵衛とある。須田は政宗が米沢を去った後に氏郷の方へ来て、政宗の秘を訐《あば》いた者となって居る。
蒲生源左衛門は須田等を糺《きゅう》した。二人は証拠文書を攘《と》って来たのだから、それに合せて逐一に述立てた。大崎と伊達との関係、大崎義隆の家は最上義光を宗家としていること、最上家は政宗の母の家であること、母と政宗とは不和の事、政宗が大崎を図った事、そんな事をも語ったろうが、それよりは先ず差当って、一揆を勧めたこと、黒川に於ての企の事、中新田にて虚病の事、名生の城へ氏郷を釣寄せる事、四城と計《はかりごと》を合せて氏郷を殺し、一揆の手に打死を遂げたることにせんとしたる事、政宗方に名生の城の落武者来りて、余りに厳しく攻められて相図|合期《ごうご》せざりしと語れる事等を訐き立てた。そして其上
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