だり、蛇になって樹登りをしたりして、或者は政宗の営を窺い或者は一揆方の様子を探り、必死の大活躍をしたろうことは推察に余り有ることである。そして此等の者の報告によって、至って危い中から至って安らかな道を発見して、精神|気魄《きはく》の充ち満ちた力足を踏みながら、忠三郎氏郷は兜《かぶと》の銀の鯰《なまず》を悠然と游《およ》がせたのだろう。それで無くて何で中新田城から幾里も距《へだた》らぬところに在った名生の敵城を知らずに、十九日の朝に政宗を後にして出立しよう。城は騎馬武者の一隊では無い、突然に湧いて出るものでも何でもない。まして名生の城は木村の家来の川村|隠岐守《おきのかみ》が守って居たのを旧柳沢の城主柳沢隆綱が攻取って拠って居たのである。それだけの事実が氏郷の耳に入らぬ訳はない。
 氏郷は前隊からの名生攻の報を得ると、其の雄偉豪傑の本領を現わして、よし、分際知れた敵ぞ、瞬く間に其城乗取れ、気息《いき》吐《つ》かすな、と猛烈果決の命令を下した。そして一方五手組、六手組、七手組の後備に対《むか》っては、おもしろいぞ、おもしろいぞ、名生の城攻むると聞かば必定政宗めが寄せて来うぞ、三段に陣を立てて静まりかえって待掛けよ、比類無き手柄する時は汝等に来たぞ、と励まし立てる。後備《あとぞなえ》の三隊は手薬錬《てぐすね》ひいて粛として、政宗来れかし、眼に物見せて呉れんと意気込む。先手は先手で、分際知れた敵ぞや、瞬く間に乗取れという猛烈の命令に、勇気既に小敵を一[#(ト)]呑みにして、心頭の火は燃えて上《のぼ》る三千丈、迅雷の落掛るが如くに憤怒の勢|凄《すさま》じく取って掛った。敵も流石《さすが》に土民ではない、柳沢隆綱等は、此処を堪《こら》えでは、と熱湯の玉の汗になって防ぎ戦った。然し蒲生勢の恐ろしい勢は敵の胆《きも》を奪った。外郭《そとぐるわ》は既に乗取った。二の丸も乗取った。見る見る本丸へ攻め詰めた。上坂源之丞、西村左馬允、北川久八、三騎並んで大手口へ寄せたが、久八今年十七八歳、上坂西村を抜いて進む。さはせぬ者ぞと云う間もあらせず、敵を切伏せ首を取る。先んぜられたり、心外、と二人も駈入りて手痛く戦う。氏郷本陣の小姓馬廻りまで、ただ瞬く間に陥《おと》せ、と手柄を競って揉立《もみた》つる。中にも氏郷が小小姓名古屋山三郎、生年十五歳、天下に名を得た若者だったが、白綾《しらあや》に紅裏《もみうら》打ったる鎧下《よろいした》、色々糸縅《いろいろおどし》の鎧、小梨打《こなしうち》の冑《かぶと》、猩々緋《しょうじょうひ》の陣羽織して、手鑓《てやり》提《ひっさ》げ、城内に駈入り鑓を合せ、目覚ましく働きて好き首を取ったのは、猛《たけ》きばかりが生命《いのち》の武者共にも嘆賞の眼を見張らさせた。名古屋は尾州の出で、家の規模として振袖《ふりそで》の間に一[#(ト)]高名してから袖を塞《ふさ》ぐことに定まって居たとか云う。当時此戦の功を讃えて、鎗仕《やりし》鎗仕は多けれど名古屋山三は一の鎗、と世に謡われたということだが、正《まさ》に是《これ》火裏《かり》の蓮華《れんげ》、人の眼《まなこ》を快うしたものであったろう。或は山三の先登は此の翌年、天正十九年九戸政実を攻めた時だともいうが、其時は氏郷のみでは無く、秀次、徳川、堀尾、浅野、伊達、井伊等大軍で攻めたのだから、何も氏郷が小小姓まで駈出させることは無かったろう。此の戦は瞬間に攻落すことを欲したから、北村、名古屋の輩までに力を出させたのである。それは兎もあれ角もあれ、敵も一生懸命に戦ったから、蒲生勢にも道家孫一、粟井六右衛門、町野新兵衛、田付理介等の勇士も戦死し、兵卒の討死手負も少くなかったが、遂に全く息もつかせず瞬く間に攻落して終《しま》って、討取る首数六百八十余だったと云うから、城攻としては非常に短い時間の、随分激烈|苛辣《からつ》の戦であったに疑無い。
 政宗は謀った通りに氏郷を遣り過して先へ立たせて仕舞った。氏郷は名生の城へ引掛るに相違無い、と思った。そこで、いざ急ぎ打立てや者共と、同苗藤五郎成実、片倉小十郎景綱を先手にして、揉《も》みに揉んで押寄せた。ところが氏郷の手配《てくばり》は行届いて居て、彼《か》の三隊の後備は三段に備を立てて、静かなること林の如く、厳然として待設けて居た。すわや政宗寄するぞ、心得たり、手を出さば許すまじ、弾丸《たま》振舞わん、と鉄砲の火縄の火を吹いて居る勢だ。名生の城は既に落されて烟《けむり》が揚り、氏郷勢は皆城を後にして、政宗如何と観て居るのである。これを看て取った政宗は案に相違して、何様《どう》にも乗ろう潮が無い。仕方が無いから名生の左の野へ引取って、そこへ陣を取った。
 氏郷は名生の城へ入って之に拠った。政宗が来ぬ間に城を落して終ったから、小田山筑前と同じようにはならなかった
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