は有ったらしく、又世俗の所謂《いわゆる》鬼役即ち毒味役なる者が各家に存在した程に毒飼の事は繁かったものである。されば政宗が氏郷に毒を飼ったことは無かったとしても、蒲生方では毒を飼ったと思っても強《あなが》ち無理では無く、氏郷が西大寺を服したとても過慮でも無い。又ずっと後の寛永初年(五年|歟《か》)三月十二日、徳川二代将軍秀忠が政宗の藩邸に臨んだ時、政宗が自ら饗膳《きょうぜん》を呈した。其時将軍の扈従《こじゅう》の臣の内藤|外記《げき》が支え立てして、御主人《おんあるじ》役に一応御試み候え、と云った。すると政宗は大《おおい》に怒って、それがし既にかく老いて、今さら何で天下を心掛きょうず、天下に心を掛けしは二十余年もの昔、其時にだに人に毒を飼う如ききたなき所存は有《も》たず、と云い放った。それで秀忠が笑って外記の為に挨拶が有って其儘《そのまま》に済んだ、という事がある。政宗の答は胸が透《す》くように立派で、外記は甚だ不面目であったが、外記だとて一手《ひとて》さきが見えるほどの男ならば政宗が此の位の返辞をするのは分らぬでもあるまいに、何で斯様《かよう》なことを云ったろう。それは全く将軍を思う余りの過慮から出たに相違無いが、見す見す振飛ばされると分ってながら一[#(ト)]押し押して見たところに、外記は外記だけの所存が有ったのであろう。政宗と家康と馬の合ったように氏郷と仲の好かった前田利家は、温厚にして長者の風のあった人で、敵の少い人ではあったが、それでも最上の伊白という鍼医《はりい》の為に健康を危うくされて、老臣の村井|豊後《ぶんご》の警告により心づいて之を遠ざけた、という談《はなし》がある。毒によらず鍼によらず、陰密に人を除こうとするが如きことは有り内の世で、最も名高いのは加藤清正|毒饅頭《どくまんじゅう》一件だが、それ等の談は皆虚誕であるとしても、各自が他を疑い且つ自ら警《いまし》め備えたことは普《あまね》く存した事実であった。政宗が毒を使ったという事は無くても、氏郷が西大寺を飲んだという事は存在した事実と看て差支あるまい。
 其日氏郷は本街道、政宗は街道右手を、並んで進んだ。はや此辺は叛乱地《はんらんち》で、地理は山あり水あって一寸|錯綜《さくそう》し、処々に大崎氏の諸将等が以前|拠《よ》って居た小城が有るのだった。氏郷軍は民家を焼払って進んだところ、本街道筋にも一揆《いっき》の籠《こも》った敵城があった。それは四竈《しかま》、中新田《なかにいだ》など云うのであった。氏郷の勢に怖れて抵抗せずに城を開いて去ったので、中新田に止《とど》まり、氏郷は城の中に、政宗は城より七八町|距《へだ》たった大屋敷に陣取ったから、氏郷の先隊四将は本隊を離れて政宗の営の近辺に特に陣取った。無論政宗を監視する押えであった。此の中新田附近は最近、即ち足掛四年前の天正十五年正月に戦場となった処で、其戦は伊達政宗の方の大敗となって、大崎の隣大名たる葛西左京太夫晴信が使を遣わして慰問したのはまだしも、越後の上杉景勝からさえ使者を遣《よこ》して特に慰問されたほど諸方に響き渡り、又反覆常無き大内定綱は一度政宗に降参した阿子島民部を誘って自分に就かせたほど、伊達の威を落したものだった。それは大崎の大崎義隆の臣の里見隆景から事起って、隆景が義隆をして同じ大崎の巨族たる岩出山の城主氏家弾正を殺させんとしたので、弾正が片倉小十郎に因って政宗に援を請うたところから紛糾した大崎家の内訌《ないこう》が、伊達対大崎の戦となり、伊達が勝てば氏家弾正を手蔓《てづる》にして大崎を呑んで終《しま》おうということになったのである。ところが氏家を援《たす》けに出た伊達軍の総大将の小山田筑前は三千余騎を率いて、金の采配《さいはい》を許されて勇み進んだに関らず、岩出山の氏家弾正を援けようとして一本槍に前進して中新田城を攻めたため、大崎から救援の敵将等と戦って居る中に、中新田城よりは後《あと》に当って居る下新田城や師山《もろやま》城や桑折《くわおり》城やの敵城に策応されて、袋の鼠《ねずみ》の如くに環攻され、総大将たる小山田筑前は悪戦して死し、全軍殆んど覆没し、陣代の高森|上野《こうつけ》は婿《むこ》舅《しゅうと》の好《よし》みを以て哀《あわれみ》を敵の桑折(福島附近の桑折《こおり》にあらず、志田郡鳴瀬川附近)の城将黒川月舟に請うて僅に帰るを得た程である。今氏郷は南から来て四竈を過ぎて其の中新田城に陣取ったが、大崎家の余り強くも無い鉾先《ほこさき》ですら、中新田の北に当って同盟者をさえ有した伊達家の兵に大打撃を与え得た地勢である。氏郷の立場は危いところである。政宗の兵が万一敵意をあらわして、氏郷勢の南へ廻って立切った日には、西には小野田の城が有って、それから向うは出羽奥羽の脊梁《せきりょう》山脉に限
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