氏郷が示したので、政宗も役目上仕方が無いから先へ立って進んだ。氏郷は其後から油断無く陣を押した。何の事は無い政宗は厭々《いやいや》ながら逐立《おいた》てられた形だ。政宗は忌々《いまいま》しかったろうが理詰めに押されて居るので仕方が無い、何様《どう》しようも無い。氏郷は理に乗って押して居るのである。グングンと押した。大森辺から北は大崎領まで政宗領である。北へ北へと道順に云えば伊達郡、苅田《かった》郡、柴田郡、名取郡、宮城郡、黒川郡であって、黒川郡から先が一揆|叛乱地《はんらんち》になって居るのである。其間随分と長い路程であるが、政宗は理に押されてシブシブながら先へ立たぬ訳にゆかず、氏郷は理に乗ってジリジリと後から押した。政宗が若《も》しも途中で下手《へた》に何事か起した日には、吾《わ》が領分では有るし、勝手は知ったり、大軍では有り、無論政宗に取って有利の歩合は多いが、吾が領内で云わば関白の代官同様な氏郷に力沙汰に及んだ日には、免《まぬか》るるところ無く明白に天下に対して弓を挽《ひ》いた者となって終《しま》って、自ら救う道は絶対に無いのである。そこを知らぬ政宗では無いから、振捩《ふりもぎ》ろうにも蹴たぐろうにも為《せ》ん術《すべ》無くて押されている。又そこを知り切っている氏郷だから、業を為るなら仕て見よ、と十分に腰を落して油断無くグイグイ押す。氏郷の方が現われたところでは勢を得ている。でも押す方にも押される方にも、力士と力士との双方に云うに云われぬ気味合が有るから、寒気も甚《ひど》かったし天気も悪かったろうが、福島近傍の大森から、政宗領のはずれ、叛乱地の境近くに至るまでに十日もかかって居る。
此|間《かん》政宗は面白く無い思をしたであろうが、其代り氏郷も酷《ひど》い目にあっている。それは此十日の間に通った地方は政宗の家の恩威が早くから行われて居た地で、政宗の九代前の政家、十代前の宗遠あたりが切従えたのだから、中頃之を失ったことが有るにせよ、今又政宗に属しているので、土豪民庶皆伊達家|贔屓《びいき》であるからであった。本来なら氏郷政宗は友軍であるから、氏郷軍の便宜をば政宗領の者も提供すべき筋合であるが、前に挙げた如く人民は蒲生勢を酷遇した。寒天風雪の時に当って宿を仮さなかったり敷物を仮さなかったり、薪や諸道具を供することを拒んだ。朧月夜《おぼろづきよ》にしくものぞ無き、
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