先鋒《せんぽう》は二本松から杉[#(ノ)]目、鎌田と進んだ。杉[#(ノ)]目は今の福島で、鎌田は其北に在る。政宗勢も其先鋒は其辺まで押出して居たから、両勢は近々と接近した。蒲生勢も伊達勢の様子を見れば、伊達勢も蒲生勢の様子を見たことだろう。然るに伊達勢が本気になって案内者の任を果し、先に立って一揆《いっき》対治に努力しようと進む意の無いことは、氏郷勢の場数を踏んだ老功の者の眼には明々白々に看えた。すべて他の軍の有して居る真の意向を看破することは戦に取って何より大切の事であるから、当時の武人は皆これを鍛錬して、些細《ささい》の事、機微の間にも洞察することを力《つと》めたものである。関ヶ原の戦に金吾中納言の裏切を大谷|刑部《ぎょうぶ》が必ず然様《そう》と悟ったのも其の為である。氏郷の前軍の蒲生源左衛門、町野左近将監等は政宗勢の不誠実なところを看破したから大《おおい》に驚いた。一揆討伐に誠意の無いことは一揆方に意を通わせて居て、そして味方に対して害意を有《も》っているので無くて何で有ろう。それが大軍であり、地理案内者である。そこで前隊から急に蒲生四郎兵衛、玉井数馬助二人を本隊へ馳《は》せさせて政宗の異心|謀叛《むほん》、疑無しと見え申す、其処に二三日も御|逗留《とうりゅう》ありて猶《なお》其体をも御覧有るべし、と告げた。すると氏郷は警告を賞して之に従うかと思いのほか、大に怒って瞋眼《しんがん》から光を放った。ここは流石《さすが》に氏郷だ。二人を睨《にら》み据えて言葉も荒々しく、政宗謀叛とは初めより覚悟してこそ若松を出でたれ、何方《いずく》にもあれ支えたらば踏潰《ふみつぶ》そうまでじゃ、明日《あす》は早天に打立とうず、と罵《ののし》った。総軍はこれを聞いてウンと腹の中に堪《こた》えが出来た。
 政宗勢の方にも戦場往来の功を経た者は勿論有るし、他の軍勢の様子を見て取ろうとする眼は光って居たに違無い。見ると蒲生勢は凜《りん》としている、其頃の言葉に云う「戦《たたかい》を持っている」のである。戦を持っているというのは、何時でも火蓋《ひぶた》を切って遣りつけて呉れよう、というのである。コレハと思ったに違いない。
 氏郷は翌日早朝に天気の不利を冒して二本松を立った。今の街道よりは西の方なる、今の福島近くの大森の城に着いた。政宗遅滞するならば案内の任を有っている者より先へも進むべき勢を
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