し。はらふといふにては駆るといふより弱くしておもしろからぬなり。

      あだ雲

 「月の前に時雨過ぎたるあだ雲をはらふならひは秋の山風」といへる歌、慈鎭和尚の詠としては、つたなし。されどあだ雲といへる言葉をかし。あだは、あだ人あだ花などのあだなるべし。用ゐざまによりては、をかしき節ある歌をもなすに足るべき言葉なり。

      雲のわざ

 雲のするわざも多きが中に、いとおもしろきは、冬の日の朝早く、平らかにわたれる雲の、谷を籠め麓を蓋《おほ》ひて、世の何物をも山の上の人には見せぬことなり。日輪いまだ出でたまはず、月落ち星の光り薄れながら、天《そら》猶ひとしきり暗き頃、山高きところに宿りたる身のよろづ物珍らしきに、例に無く夙《はや》く起き出でゝ、戸などをも自ら繰り、心しまるやうなる寒さを忍びて眼を放つて見わたせば、昨日は脚の下に麓路の村も画の如く小さく見え、川の流れの白きが糸ほどに細くそれと知られ、深き谿を隔てゝかれこれと名ある山々の数多く連なり立ちたるが眼に入りしに、今は我が立てるところを去る幾干《いくばく》もあらぬ下より遙に向ふの方|際涯《はて》知らぬあたりまで、平らか
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