人の談話《はなし》を引出さうとつとめる。景勝などといふものは論談の對象にするには聊か宜し過ぎるものであつて、山にしろ、水にしろ、たゞこれに打ち對つて怡然《いぜん》として神《しん》喜び心樂めばそれで宜《よ》いので、甲地乙地の比較をしたり上下をしたりするのは第二第三の餘計な事で、眞にいはゆる蛇足を畫《ゑが》くものであるから、ナアニ八景は勿論好いサ、二十五勝もまた勿論好いサ、百景の中へ入れられた地にも中々好いところが有るのサ位に片づけてしまつても、それでは先生承知しない、風景論の投繩を頻《しきり》に投げ掛けて、野馬的に勝手氣隨に奔逸したがる老人の意馬の頭《かしら》を主要問題の方に向はせようとする。とう/\八景の談《はなし》に引張りこまれてしまつた。
 一體八景といふのは隨分長い間の流行《はやり》言葉であつて、何八景|彼《かに》八景、しまひには吉原《よしはら》八景、辰巳《たつみ》八景とまで用ゐられて、ふけて逢ふ夜は寢てからさきのなぞと、イヤハヤ途轍《とてつ》も無い邊にまで利用されるに至つたほどであるが、最初はこれも矢張り支那文學美術すべて支那影響を受けた頃に起つたことである。八景といふ字面《じ
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