、張掖門《ちょうえきもん》に殺入して大《おおい》に威勇を奮い、城|殆《ほとん》ど破る。而《しか》も景隆の器《き》の小なる、能の功を成すを喜ばず、大軍の至るを俟《ま》ちて倶《とも》に進めと令し、機に乗じて突至せず。是《ここ》に於て守る者|便《べん》を得、連夜水を汲《く》みて城壁に灌《そそ》げば、天寒くして忽《たちま》ち氷結し、明日に至れば復《また》登ることを得ざるが如きことありき。燕王は予《あらかじ》め景隆を吾が堅城の下に致して之を殱《つく》さんことを期せしに、景隆既に※[#「(士/冖/一/弓)+殳」、第3水準1−84−25]《やごろ》に入り来《きた》りぬ、何ぞ箭《や》を放たざらんや。大寧より還《かえ》りて会州《かいしゅう》に至り、五軍を立てゝ、張玉を中軍に、朱能を左軍に、李彬《りひん》を右軍《ゆうぐん》に、徐忠《じょちゅう》を前軍に、降将|房寛《ぼうかん》を後軍に将たらしめ、漸《ようや》く南下して京軍《けいぐん》と相対したり。十一月、京軍の先鋒《せんぽう》陳暉《ちんき》、河を渡りて東す。燕王兵を率いて至り、河水の渡り難きを見て黙祷《もくとう》して曰く、天|若《も》し予を助けんには、河水
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