《ほうせん》を遣《や》りて之を討たしめ、又|王《おう》僧弁《そうべん》をして代って将たらしむ。帝は高祖|武帝《ぶてい》の第七子にして、誉《よ》は武帝の長子にして文選《もんぜん》の撰者《せんじゃ》たる昭明太子《しょうめいたいし》統《とう》の第二子なり。一門の語、誉を征するの時に当りて発するか。)建文帝の仁柔《じんじゅう》の性、宋襄《そうじょう》に近きものありというべし。それ燕王は叔父たりと雖《いえど》も、既に爵を削られて庶人たり、庶人にして兇器《きょうき》を弄《ろう》し王師に抗す、其罪|本《もと》より誅戮《ちゅうりく》に当る。然《しか》るに是《かく》の如《ごと》きの令を出征の将士に下す。これ適《たまたま》以《もっ》て軍旅の鋭《えい》を殺《そ》ぎ、貔貅《ひきゅう》の胆《たん》を小にするに過ぎざるのみ、智《ち》なりという可《べ》からず。燕王と戦うに及びて、官軍時に或《あるい》は勝つあるも、此《この》令あるを以《もっ》て、飛箭《ひせん》長槍《ちょうそう》、燕王を殪《たお》すに至らず。然りと雖も、小人の過《あやまち》や刻薄《こくはく》、長者の過《あやまち》や寛厚《かんこう》、帝の過を観《み》て帝
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