の状を告げ、諸《しょ》叔父《しゅくふ》各大封|重兵《ちょうへい》を擁し、叔父の尊きを負《たの》みて傲然《ごうぜん》として予に臨む、行末《ゆくすえ》の事も如何《いかが》あるべきや、これに処し、これを制するの道を問わんと曰《のたま》いたもう。子澄名は※[#「さんずい+是」、第3水準1−86−90]《てい》、分宜《ぶんぎ》の人、洪武十八年の試に第一を以て及第したりしより累進してこゝに至れるにて、経史に通暁せるはこれ有りと雖《いえど》も、世故《せいこ》に練達することは未《いま》だ足らず、侍読の身として日夕奉侍すれば、一意たゞ太孫に忠ならんと欲して、かゝる例は其《その》昔にも見えたり、但し諸王の兵多しとは申せ、もと護衛の兵にして纔《わずか》に身ずから守るに足るのみなり、何程の事かあらん、漢の七国を削るや、七国|叛《そむ》きたれども、間も無く平定したり、六師一たび臨まば、誰《たれ》か能《よ》く之を支えん、もとより大小の勢、順逆の理、おのずから然るもの有るなり、御心《みこころ》安く思召《おぼしめ》せ、と七国の古《いにしえ》を引きて対《こた》うれば、太孫は子澄が答を、げに道理《もっとも》なりと信じたま
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