、漸《ようや》くに忘れらる。宣宗《せんそう》の宣徳《せんとく》元年秋八月、従亡《じゅうぼう》諸臣を菴前《あんぜん》に祭りたもう。此《この》歳《とし》漢王《かんおう》高煦《こうこう》反す。高煦は永楽帝の子にして、仁宗の同母弟、宣徳帝《せんとくてい》の叔父《しゅくふ》なり。燕王の兵を挙ぐるや、高煦父に従《したが》って力戦す。材武みずから負《たの》み、騎射を善《よ》くし、酷《はなは》だ燕王に肖《に》たり。永楽帝の儲《ちょ》を立つるに当って、丘福《きゅうふく》、王寧《おうねい》等《ら》の武臣|意《こころ》を高煦に属するものあり。高煦|亦《また》窃《ひそか》に戦功を恃《たの》みて期するところあり。然《しか》れども永楽帝|長子《ちょうし》を立てゝ、高煦を漢王とす。高煦|怏々《おうおう》たり。仁宗立って其《その》歳《とし》崩じ、仁宗の子大位に即《つ》くに及びて、遂《つい》に反す。高煦の宣徳帝《せんとくてい》に於《お》けるは、猶《なお》燕王の建文帝に於けるが如きなり。其《その》父反して而《しか》して帝たり、高煦父の為《な》せるところを学んで、陰謀至らざる無し。然《しか》れども事発するに至って、帝親征し
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