りたまい、今後再び来《きた》る勿《なか》れ、我|安居《あんきょ》す、心づかいすなと仰《おお》す。帝白龍庵を舎《す》てたもう。此《この》歳《とし》永楽帝は去年|丘福《きゅうふく》を漠北《ばくほく》に失えるを以て北京《ほくけい》を発して胡地《こち》に入り、本雅失里《ベンヤシリ》(Benyashili)阿魯台《アルタイ》(Altai)等《ら》と戦いて勝ち、擒狐山《きんこざん》、清流泉《せいりゅうせん》の二処に銘を勒《ろく》して還りたもう。
 九年春、白龍庵|有司《ゆうし》の毀《こぼ》つところとなる。夏建文帝|浪穹《ろうきゅう》鶴慶山《かくけいざん》に至り、大喜庵《たいきあん》を建つ。十年|楊応能《ようおうのう》卒し、葉希賢《しょうきけん》次《つ》いで卒す。帝|因《よ》って一弟子《いちていし》を納《い》れて応慧《おうえ》と名づけたもう。十一年|甸《てん》に至りて還り、十二年易数を学びたもう。此《この》歳《とし》永楽帝また塞外《さくがい》に出《い》で、瓦剌《オイラト》を征したもう。皇太孫|九龍口《きゅうりゅうこう》に於《おい》て危難に臨む。十三年建文帝|衡山《こうざん》に遊ばせたもう。十四年、帝
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