1−86−62]然《げんぜん》として泣きて曰く、我罪を神明に獲《え》たり、諸人皆我が為《ため》にする也《なり》と。
 建文帝《けんぶんてい》は今は僧|応文《おうぶん》たり。心の中《うち》はいざ知らず、袈裟《けさ》に枯木《こぼく》の身を包みて、山水に白雲の跡を逐《お》い、或《あるい》は草庵《そうあん》、或は茅店《ぼうてん》に、閑坐《かんざ》し漫遊したまえるが、燕王《えんおう》今は皇帝なり、万乗の尊に居《お》りて、一身の安き無し。永楽元年には、韃靼《だったん》の兵、遼東《りょうとう》を犯し、永平《えいへい》に寇《あだ》し、二年には韃靼《だったん》と瓦剌《わら》(Oirats, 西部蒙古)との相《あい》和せる為に、辺患無しと雖《いえど》も、三年には韃靼の塞下《さくか》を伺うあり。特《こと》に此《この》年《とし》はタメルラン大兵を起して、道を別失八里《ベシバリ》(Bisbalik)に取り、甘粛《かんしゅく》よりして乱入せんとするの事あり。甘粛は京《けい》を距《さ》る遠しと雖《いえど》も、タメルランの勇威猛勢は、太祖の時よりして知るところたり、永楽帝の憂慮察す可《べ》し。此《この》事《こと》明史
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