いざん》の一抔土《いっぽうど》、封《ほう》せず樹《じゅ》せずして終るに至る。嗚呼《ああ》又奇なるかな。しかも其の因縁《いんえん》の糾纏錯雑《きゅうてんさくざつ》して、果報の惨苦悲酸なる、而して其の影響の、或《あるい》は刻毒《こくどく》なる、或は杳渺《ようびょう》たる、奇も亦《また》太甚《はなはだ》しというべし。


 建文帝の国を遜《ゆず》らざるを得ざるに至れる最初の因は、太祖の諸子を封ずること過当にして、地を与うること広く、権を附すること多きに基づく。太祖の天下を定むるや、前代の宋《そう》元《げん》傾覆の所以《ゆえん》を考えて、宗室の孤立は、無力不競の弊源たるを思い、諸子を衆《おお》く四方に封じて、兵馬の権を有せしめ、以《もっ》て帝室に藩屏《はんべい》たらしめ、京師《けいし》を拱衛《きょうえい》せしめんと欲せり。是《こ》れ亦《また》故無きにあらず。兵馬の権、他人の手に落ち、金穀の利、一家の有たらずして、将帥《しょうすい》外に傲《おご》り、奸邪《かんじゃ》間《あいだ》に私すれば、一朝事有るに際しては、都城守る能《あた》わず、宗廟《そうびょう》祀《まつ》られざるに至るべし。若《も》し夫《
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