逸田叟《いつでんそう》の脚色は仮《か》にして後|纔《わずか》に奇なり、造物|爺々《やや》の施為《しい》は真にして且《かつ》更に奇なり。
明《みん》の建文《けんぶん》皇帝は実に太祖《たいそ》高《こう》皇帝に継《つ》いで位に即《つ》きたまえり。時に洪武《こうぶ》三十一年|閏《うるう》五月なり。すなわち詔《みことのり》して明年を建文元年としたまいぬ。御代《みよ》しろしめすことは正《まさ》しく五歳にわたりたもう。然《しか》るに廟諡《びょうし》を得たもうこと無く、正徳《しょうとく》、万暦《ばんれき》、崇禎《すうてい》の間、事しば/\議せられて、而《しか》も遂《つい》に行われず、明《みん》亡び、清《しん》起りて、乾隆《けんりゅう》元年に至って、はじめて恭憫恵《きょうびんけい》皇帝という諡《おくりな》を得たまえり。其《その》国の徳衰え沢《たく》竭《つ》きて、内憂外患こも/″\逼《せま》り、滅亡に垂《なりなん》とする世には、崩じて諡《おく》られざる帝《みかど》のおわす例《ためし》もあれど、明の祚《そ》は其《そ》の後|猶《なお》二百五十年も続きて、此《この》時太祖の盛徳偉業、炎々《えんえん》の威を
前へ
次へ
全232ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング