きにあらずと雖《いえど》も、景隆凡器にして将材にあらず。燕王父子、天縦《てんしょう》の豪雄に加うるに、張玉、朱能、丘福等の勇烈を以《もっ》てす。北軍の克《か》ち、南軍の潰《つい》ゆる、まことに所以《ゆえ》ある也。
 山東参政《さんとうさんせい》鉄鉉《てつげん》は儒生より身を起し、嘗《かつ》て疑獄を断じて太祖の知を受け、鼎石《ていせき》という字《あざな》を賜わりたる者なり。北征の師の出《い》づるや、餉《しょう》を督して景隆の軍に赴かんとしけるに、景隆の師|潰《つい》えて、諸州の城堡《じょうほ》皆|風《ふう》を望みて燕に下るに会い、臨邑《りんゆう》に次《やど》りたるに、参軍|高巍《こうぎ》の南帰するに遇《あ》いたり。偕《とも》に是《こ》れ文臣なりと雖《いえど》も、今武事の日に当り、目前に官軍の大《おおい》に敗れて、賊威の熾《さか》んに張るを見る、感憤何ぞ極まらん。巍は燕王に書を上《たてまつ》りしも効《かい》無かりしを歎《たん》ずれば、鉉は忠臣の節に死する少《すくな》きを憤る。慨世の哭《なげき》、憂国の涙、二人|相《あい》持《じ》して、※[#「さんずい+玄」、第3水準1−86−62]然《げん
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