》を誅せんとしゝに効《なら》わんと欲したもうと申す。今大王北平に拠《よ》りて数群を取りたもうと雖《いえど》も、数月《すうげつ》以来にして、尚《なお》※[#「くさかんむり/最」、第4水準2−86−82]爾《さつじ》たる一隅の地を出《い》づる能わず、較《くら》ぶるに天下を以てすれば、十五にして未だ其《その》一《いつ》をも有したまわず。大王の将士も、亦疲れずといわんや。それ大王の統《す》べたもう将士も、大約三十万には過ぎざらん。大王と天子と、義は則《すなわ》ち君臣たり、親《しん》は則ち骨肉たるも、尚《なお》離れ間《へだ》たりたもう、三十万の異姓の士、など必ずしも終身困迫して殿下の為に死し申すべきや。巍《ぎ》が念《おもい》こゝに至るごとに大王の為に流涕《りゅうてい》せずんばあらざる也。願わくは大王臣が言《ことば》を信じ、上表《じょうひょう》謝罪し、甲を按《お》き兵を休めたまわば、朝廷も必ず寛宥《かんゆう》あり、天人共に悦《よろこ》びて、太祖在天の霊も亦《また》安んじたまわん。※[#「にんべん+淌のつくり」、第3水準1−14−30]《もし》迷《まよい》を執りて回《かえ》らず、小勝を恃《たの》み、大義を忘れ、寡を以て衆に抗し、為《な》す可からざるの悖事《はいじ》を僥倖《ぎょうこう》するを敢《あえ》てしたまわば、臣大王の為に言《もう》すべきところを知らざる也《なり》。況《いわ》んや、大喪の期未だ終らざるに、無辜《むこ》の民驚きを受く。仁を求め国を護《まも》るの義と、逕庭《けいてい》あるも亦《また》甚《はなはだ》し。大王に朝廷を粛清するの誠意おわすとも、天下に嫡統を簒奪《さんだつ》するの批議無きにあらじ。もし幸《さいわい》にして大王敗れたまわずして功成りたまわば、後世の公論、大王を如何《いかん》の人と謂《い》い申すべきや。巍は白髪の書生、蜉蝣《ふゆう》の微命《びめい》、もとより死を畏《おそ》れず。洪武十七年、太祖高皇帝の御恩《ぎょおん》を蒙《こうむ》りて、臣が孝行を旌《あらわ》したもうを辱《かたじけな》くす。巍|既《すで》に孝子たる、当《まさ》に忠臣たるべし。孝に死し忠に死するは巍の至願也。巍幸にして天下の為に死し、太祖在天の霊に見《まみ》ゆるを得ば、巍も亦以て愧《はじ》無かるべし。巍至誠至心、直語して諱《い》まず、尊厳を冒涜《ぼうとく》す、死を賜うも悔《くい》無し、願わくは大王今に於て再思したまえ。と憚《はばか》るところ無く白《もう》しける。されど燕王答えたまわねば、数次《しばしば》書を上《たてまつ》りけるが、皆|効《かい》無かりけり。
 巍の書、人情の純、道理の正しきところより言を立つ。知らず燕王の此《これ》に対して如何《いかん》の感を為せるを。たゞ燕王既に兵を起し戦《たたかい》を開く、巍の言《ことば》善《よ》しと雖も、大河既に決す、一葦《いちい》の支え難きが如し。しかも巍の誠を尽し志を致す、其意と其|言《げん》と、忠孝|敦厚《とんこう》の人たるに負《そむ》かず。数百歳の後、猶《なお》読む者をして愴然《そうぜん》として感ずるあらしむ。魏と韓郁《かんいく》とは、建文の時に於て、人情の純、道理の正《まさ》に拠りて、言《げん》を為せる者也。


 年は新《あらた》になりて建文二年となりぬ。燕《えん》は洪武《こうぶ》三十三年と称す。燕王は正月の酷寒に乗じて、蔚州《いしゅう》を下し、大同《だいどう》を攻む。景隆《けいりゅう》師を出して之《これ》を救わんとすれば、燕王は速く居庸関《きょようかん》より入りて北平《ほくへい》に還《かえ》り、景隆の軍、寒苦に悩み、奔命に疲れて、戦わずして自ら敗る。二月、韃靼《だったん》の兵|来《きた》りて燕を助く。蓋《けだ》し春暖に至れば景隆の来り戦わんことを慮《はか》りて、燕王の請えるなり。春|闌《たけなわ》にして、南軍|勢《いきおい》を生じぬ。四月|朔《さく》、景隆兵を徳州《とくしゅう》に会す、郭英《かくえい》、呉傑《ごけつ》は真定《しんてい》に進みぬ。帝は巍国公《ぎこくこう》徐輝祖《じょきそ》をして、京軍《けいぐん》三万を帥《ひき》いて疾馳《しっし》して軍に会せしむ。景隆、郭英、呉傑|等《ら》、軍六十万を合《がっ》し、百万と号して白溝河《はくこうが》に次《じ》す。南軍の将|平安《へいあん》驍勇《ぎょうゆう》にして、嘗《かつ》て燕王に従いて塞北《さいほく》に戦い、王の兵を用いるの虚実を識《し》る。先鋒《せんぽう》となりて燕に当り、矛《ほこ》を揮《ふる》いて前《すす》む。瞿能《くのう》父子も亦《また》踴躍して戦う。二将の向《むか》う所、燕兵|披靡《ひび》す。夜、燕王、張玉《ちょうぎょく》を中軍に、朱能《しゅのう》を左軍に、陳亨《ちんこう》を右《ゆう》軍に、丘福《きゅうふく》を騎兵に将とし、馬歩《ばほ》十余万、黎明《れいめ
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