が如く、実の如く虚の如く、縹渺有趣《ひょうびょうゆうしゅ》の文を為《な》す。永楽亭《えいらくてい》楡木川《ゆぼくせん》の崩《ほう》を記する、鬼母《きぼ》の一剣を受くとなし、又|野史《やし》を引いて、永楽帝|楡木川《ゆぼくせん》に至る、野獣の突至するに遇《あ》い、之《これ》を搏《ばく》す、攫《かく》されてたゞ半躯《はんく》を剰《あま》すのみ、※[#「歹+僉」、第4水準2−78−2]《れん》して而《しか》して匠を殺す、其《その》迹《あと》を泯滅《びんめつ》する所以《ゆえん》なりと。野獣か、鬼母か、吾《われ》之《これ》を知らず。西人《せいじん》或《あるい》は帝|胡人《こじん》の殺すところとなると為す。然《しか》らば則《すなわ》ち帝|丘福《きゅうふく》を尤《とが》めて、而して福と其《その》死を同じゅうする也。帝勇武を負い、毎戦|危《あやう》きを冒《おか》す、楡木川《ゆぼくせん》の崩、蓋《けだ》し明史《みんし》諱《い》みて書せざるある也。
数《すう》か、数か。紅篋《こうきょう》の度牒《どちょう》、袈裟《けさ》、剃刀《ていとう》、噫《ああ》又何ぞ奇なるや。道士の霊夢、御溝《ぎょこう》の片舟《へんしゅう》、噫《ああ》又何ぞ奇なるや。吾《われ》嘗《かつ》て明史《みんし》を読みて、其《その》奇に驚き、建文帝と共に所謂《いわゆる》数《すう》なりの語を発せんと欲す。後《のち》又|道衍《どうえん》の伝を読む。中《うち》に記して曰く、道衍|永楽《えいらく》十六年死す。死に臨みて、帝言わんと欲するところを問う。衍曰く、僧《そう》溥洽《ふこう》というもの繋《つな》がるゝこと久し。願わくは之を赦《ゆる》したまえと。溥洽《ふこう》は建文帝の主録僧《しゅろくそう》なり。初め帝の南京《なんきん》に入るや、建文帝僧となりて遁《のが》れ去り、溥洽|状《じょう》を知ると言うものあり、或《あるい》は溥洽の所に匿《かく》すと云《い》うあり。帝|乃《すなわ》ち他事を以て溥洽を禁《いまし》めて、而《しか》して給事中《きゅうじちゅう》胡※[#「さんずい+「勞」の「力」に代えて「火」」、UCS−6FD9、423−8]《こえい》等《ら》に命じて※[#「彳+扁」、第3水準1−84−34]《あまね》く建文帝を物色せしむ。之《これ》を久しくして得ず。溥洽|坐《ざ》して繋《つな》がるゝこと十余年、是《ここ》に至りて帝道衍の言を以《もっ》て命じて之を出《いだ》さしむ。衍|頓首《とんしゅ》して謝し、尋《つい》で卒すと。篋中《きょうちゅう》の朱書、道士の霊夢、王鉞《おうえつ》の言、呉亮《ごりょう》の死と、道衍の請《こい》と、溥洽の黙《もく》と、嗚呼《ああ》、数たると数たらざると、道衍|蓋《けだ》し知ることあらん。而《しか》して楡木川《ゆぼくせん》の客死《かくし》、高煦《こうこう》の焦死《しょうし》、数たると数たらざるとは、道衍|袁※[#「王+共」、第3水準1−87−92]《えんこう》の輩《はい》の固《もと》より知らざるところにして、たゞ天|之《これ》を知ることあらん。
底本:「日本の文学3 五重塔・運命」ほるぷ出版
1985(昭和60)年2月1日初版第1刷発行
底本の親本:「幽秘記」改造社
1925(大正14)年6月発行
※JIS X 0213にもない文字の一部に、字体表現の参考資料として、「※[#「木+爽」、UCS−6A09、252−3]」のように、Unicodeを添えました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※疑問箇所の確認にあたっては、底本の親本と、「露伴全集 第六卷」岩波書店、1953(昭和28)年12月20日発行を参照しました。
※底本の「凡例」に「韻文の作品は、原表記・歴史的仮名づかいのままとした。ただし、振仮名は現代表記に改めた。」と記載されています。
※「懐来《かいらい》に在《あ》り 兵三万と」「天に震い 飛矢《ひし》雨の如し。」「城を撃たしむ 城壁破れんとす。」「前半は巵酒《ししゅ》 歓楽、」「武当《ぶとう》 大和山《たいかざん》に」の空白は底本通りにしました。
入力:kompass
校正:しだひろし
2004年11月17日作成
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