84]《げんれい》の操履《そうり》、燕王の剛邁《ごうまい》の気象、二者|相《あい》遇《あ》わば、氷塊の鉄塊と相《あい》撃《う》ち、鷲王《しゅうおう》と龍王《りゅうおう》との相《あい》闘《たたか》うが如き凄惨狠毒《せいさんこんどく》の光景を生ぜんことを想察して預《あらかじ》め之を防遏《ぼうあつ》せんとせるか、今皆確知する能《あた》わざるなり。
 方孝孺は如何《いか》なる人ぞや。孝孺|字《あざな》は希直《きちょく》、一字は希古《きこ》、寧海《ねいかい》の人。父|克勤《こくきん》は済寧《せいねい》の知府《ちふ》たり。治を為すに徳を本《もと》とし、心を苦《くるし》めて民の為《ため》にす。田野《でんや》を闢《ひら》き、学校を興し、勤倹身を持し、敦厚《とんこう》人を待つ。かつて盛夏に当って済寧の守将、民を督して城を築かしむ。克勤曰く、民今|耕耘《こううん》暇《いとま》あらず、何ぞ又|畚※[#「金+插のつくり」、第3水準1−93−28]《ほんそう》に堪えんと。中書省《ちゅしょしょう》に請いて役《えき》を罷《や》むるを得たり。是より先《さ》き久しく旱《ひでり》せしが、役の罷むに及んで甘雨《かんう》大《おおい》に至りしかば、済寧の民歌って曰く。

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孰《たれ》か我が役を罷《や》めしぞ、
使君《しくん》の 力なり。
孰《たれ》か我が黍《しょ》を活《い》かしめしぞ、
使君の 雨なり。
使君よ 去りたまふ勿《なか》れ、
我が民の 父なり 母なり。
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 克勤の民意を得《う》る是《かく》の如くなりしかば、事を視《み》ること三年にして、戸口増倍し、一郡|饒足《じょうそく》し、男女|怡々《いい》として生を楽《たのし》みしという。克勤|愚菴《ぐあん》と号す。宋濂《そうれん》に故《こ》愚庵先生|方公墓銘文《ほうこうぼめいぶん》あり。滔々《とうとう》数千言《すせんげん》、備《つぶさ》に其の人となりを尽す。中《うち》に記す、晩年|益《ますます》畏慎《いしん》を加え、昼の為《な》す所の事、夜は則《すなわ》ち天に白《もう》すと。愚庵はたゞに循吏《じゅんり》たるのみならざるなり。濂又曰く、古《いにしえ》に謂《い》わゆる体道《たいどう》成徳《せいとく》の人、先生誠に庶幾焉《ちかし》と。蓋《けだ》し濂が諛墓《ゆぼ》の辞にあらず。孝孺は此の愚庵先生第二子として生れたり。天賦《てんぷ》も厚く、庭訓《ていきん》も厳なりしならん。幼にして精敏、双眸《そうぼう》烱々《けいけい》として、日に書を読むこと寸に盈《み》ち、文を為《な》すに雄邁醇深《ゆうまいじゅんしん》なりしかば、郷人呼んで小韓子《しょうかんし》となせりという。其の聰慧《そうけい》なりしこと知る可し。時に宋濂一代の大儒として太祖の優待を受け、文章徳業、天下の仰望するところとなり、四方の学者、悉《ことごと》く称して太史公《たいしこう》となして、姓氏を以てせず。濂|字《あざな》は、景濂《けいれん》、其《その》先《せん》金華《きんか》の潜渓《せんけい》の人なるを以て潜渓《せんけい》と号《ごう》す。太祖|濂《れん》を廷《てい》に誉《ほ》めて曰く、宋景濂|朕《ちん》に事《つか》うること十九年、未《いま》だ嘗《かつ》て一|言《げん》の偽《いつわり》あらず、一人《いちにん》の短《たん》を誚《そし》らず、始終|二《に》無し、たゞに君子のみならず、抑《そもそも》賢と謂《い》う可しと。太祖の濂を視《み》ること是《かく》の如し。濂の人品|想《おも》う可き也《なり》。孝孺|洪武《こうぶ》の九年を以て、濂に見《まみ》えて弟子《ていし》となる。濂時に年六十八、孝孺を得て大《おおい》に之を喜ぶ。潜渓が方生の天台に還《かえ》るを送るの詩の序に記して曰く、晩に天台の方生|希直《きちょく》を得たり、其の人となりや凝重《ぎょうちょう》にして物に遷《うつ》らず、穎鋭《えいえい》にして以て諸《これ》を理に燭《しょく》す、間《まま》発《はっ》[#「間《まま》発《はっ》」は底本では「発《まま》間《はっ》」]して文を為《な》す、水の湧《わ》いて山の出《い》づるが如し、喧啾《けんしゅう》たる百鳥の中《うち》、此の孤鳳皇《こほうおう》を見る、いかんぞ喜びざらんと。凝重《ぎょうちょう》穎鋭《えいえい》の二句、老先生|眼裏《がんり》の好学生を写し出《いだ》し来《きた》って神《しん》有り。此の孤鳳皇《こほうおう》を見るというに至っては、推重《すいちょう》も亦《また》至れり。詩十四章、其二に曰く、

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念《おも》ふ 子《し》が 初めて来りし時、
才思 繭糸《けんし》の若《ごと》し。
之を抽《ひ》いて 已《すで》に緒《いとぐち》を見る、
染めて就《な》せ 五色《ごしき》の衣《い》。
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其九に曰
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