かんと云い、香《こう》を孝陵《こうりょう》に進めて、而して吾が誠実を致さんと云うに至っては、蓋《けだ》し辞柄《じへい》無きにあらず。諸王は合同の勢あり、帝は孤立の状あり。嗚呼《ああ》、諸王も疑い、帝も疑う、相疑うや何ぞ※[#「目+癸」、第4水準2−82−11]離《かいり》せざらん。帝も戒め、諸王も戒む、相戒むるや何ぞ疎隔《そかく》せざらん。疎隔し、※[#「目+癸」、第4水準2−82−11]離す、而して帝の為《ため》に密《ひそか》に図るものあり、諸王の為に私《ひそか》に謀るものあり、況《いわ》んや藩王を以《もっ》て天子たらんとするものあり、王を以て皇となさんとするものあるに於《おい》てをや。事|遂《つい》に決裂せずんば止《や》まざるものある也。
帝の為《ため》に密《ひそか》に図る者をば誰《たれ》となす。曰《いわ》く、黄子澄《こうしちょう》となし、斉泰《せいたい》となす。子澄は既に記しぬ。斉泰は※[#「さんずい+栗」、第4水準2−79−2]水《りっすい》の人、洪武十七年より漸《ようや》く世に出《い》づ。建文帝|位《くらい》に即きたもうに及び、子澄と与《とも》に帝の信頼するところとなりて、国政に参す。諸王の入京会葬を遏《とど》めたる時の如き、諸王は皆|謂《おも》えらく、泰皇考《たいこうこう》の詔を矯《た》めて骨肉を間《へだ》つと。泰の諸王の憎むところとなれる、知るべし。
諸王の為に私《ひそか》に謀る者を誰となす。曰く、諸王の雄《ゆう》を燕王となす。燕王の傅《ふ》に、僧|道衍《どうえん》あり。道衍は僧たりと雖《いえど》[#ルビの「いえど」は底本では「いえども」]も、灰心滅智《かいしんめっち》の羅漢《らかん》にあらずして、却《かえ》って是《こ》れ好謀善算の人なり。洪武二十八年、初めて諸王の封国に就《つ》く時、道衍|躬《み》ずから薦《すす》めて燕王の傅《ふ》とならんとし、謂《い》って曰く、大王《だいおう》臣をして侍するを得せしめたまわば、一白帽《いちはくぼう》を奉りて大王がために戴《いただ》かしめんと。王上《おうじょう》に白《はく》を冠すれば、其《その》文《ぶん》は皇なり、儲位《ちょい》明らかに定まりて、太祖未だ崩ぜざるの時だに、是《かく》の如《ごと》きの怪僧ありて、燕王が為に白帽を奉らんとし、而《しこう》して燕王|是《かく》の如きの怪僧を延《ひ》いて帷※[#「巾+莫」、U
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