しめんとなり。諸王は国中に臨《なげ》きて、京に至るを得る無かれ、と云えるは、蓋《けだ》し其《その》意《い》諸王其の封を去りて京に至らば、前代の遺※[#「薛/子」、第3水準1−47−55]《いげつ》、辺土の黠豪《かつごう》等、或《あるい》は虚に乗じて事を挙ぐるあらば、星火も延焼して、燎原《りょうげん》の勢を成すに至らんことを虞《おそ》るるに似たり。此《こ》も亦《また》愛民憂世の念、おのずから此《ここ》に至るというべし。太祖の遺詔、嗚呼《ああ》、何ぞ人を感ぜしむるの多きや。
然《しか》りと雖《いえど》も、太祖の遺詔、考う可《べ》きも亦《また》多し。皇太孫|允※[#「火+文」、第4水準2−79−61]《いんぶん》、天下心を帰す、宜《よろ》しく大位に登るべし、と云《い》えるは、何ぞや。既に立って皇太孫となる。遺詔無しと雖も、当《まさ》に大位に登るべきのみ。特に大位に登るべしというは、朝野の間、或《あるい》は皇太孫の大位に登らざらんことを欲する者あり、太孫の年|少《わか》く勇《ゆう》乏しき、自ら謙譲して諸王の中《うち》の材雄に略大なる者に位を遜《ゆず》らんことを欲する者ありしが如《ごと》きをも猜《すい》せしむ。仁明孝友、天下心を帰す、と云えるは、何ぞや。明《みん》の世を治むる、纔《わずか》に三十一年、元《げん》の裔《えい》猶《なお》未《いま》だ滅びず、中国に在るもの無しと雖《いえど》も、漠北《ばくほく》に、塞西《さいせい》に、辺南《へんなん》に、元の同種の広大の地域を有して※[#「足へん+番」、第4水準2−89−49]踞《ばんきょ》するもの存し、太祖崩じて後二十余年にして猶大に興和《こうわ》に寇《あだ》するあり。国外の情《じょう》是《かく》の如し。而《しこう》して域内の事、また英主の世を御せんことを幸《さいわい》とせずんばあらず。仁明孝友は固《もと》より尚《たっと》ぶべしと雖も、時勢の要するところ、実は雄材大略なり。仁明孝友、天下心を帰するというと雖も、或《あるい》は恐る、天下を十にして其の心を帰する者七八に過ぎざらんことを。中外文武臣僚、心を同じゅうして輔祐《ほゆう》し、以《もっ》て吾《わ》が民を福《さいわい》せよ、といえるは、文武臣僚の中、心を同じゅうせざる者あるを懼《おそ》るゝに似たり。太祖の心、それ安んぜざる有る耶《か》、非《ひ》耶《か》。諸王は国中に臨《なげ》
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