書、何ぞ信ずるに足らん。仮令《たとえ》数ありとするも、測り難きは数なり。測り難きの数を畏《おそ》れて、巫覡卜相《ふげきぼくそう》の徒の前に首《こうべ》を俯《ふ》せんよりは、知る可きの道に従いて、古聖前賢の教《おしえ》の下《もと》に心を安くせんには如《し》かじ。かつや人の常情、敗れたる者は天の命《めい》を称して歎《たん》じ、成れる者は己の力を説きて誇る。二者共に陋《ろう》とすべし。事敗れて之《これ》を吾《わ》が徳の足らざるに帰し、功成って之を数の定まる有るに委《ゆだ》ねなば、其《その》人《ひと》偽らずして真《しん》、其|器《き》小ならずして偉なりというべし。先哲|曰《いわ》く、知る者は言わず、言う者は知らずと。数を言う者は数を知らずして、数を言わざる者|或《あるい》は能《よ》く数を知らん。
古《いにしえ》より今に至るまで、成敗《せいばい》の跡、禍福の運、人をして思《おもい》を潜《ひそ》めしめ歎《たん》を発せしむるに足《た》るもの固《もと》より多し。されども人の奇を好むや、猶《なお》以《もっ》て足れりとせず。是《ここ》に於《おい》て才子は才を馳《は》せ、妄人《もうじん》は妄《もう》を恣《ほしいいまま》にして、空中に楼閣を築き、夢裏《むり》に悲喜を画《えが》き、意設筆綴《いせつひってつ》して、烏有《うゆう》の談を為《つく》る。或は微《すこ》しく本《もと》づくところあり、或は全く拠《よ》るところ無し。小説といい、稗史《はいし》といい、戯曲といい、寓言《ぐうげん》というもの即《すなわ》ち是《これ》なり。作者の心おもえらく、奇を極め妙を極むと。豈《あに》図《はか》らんや造物の脚色は、綺語《きご》の奇より奇にして、狂言の妙より妙に、才子の才も敵する能《あた》わざるの巧緻《こうち》あり、妄人の妄も及ぶ可からざるの警抜あらんとは。吾が言をば信ぜざる者は、試《こころみ》に看《み》よ建文《けんぶん》永楽《えいらく》の事を。
我が古《こ》小説家の雄《ゆう》を曲亭主人馬琴《きょくていしゅじんばきん》と為《な》す。馬琴の作るところ、長篇四五種、八犬伝《はっけんでん》の雄大、弓張月《ゆみはりづき》の壮快、皆|江湖《こうこ》の嘖々《さくさく》として称するところなるが、八犬伝弓張月に比して優《まさ》るあるも劣らざるものを侠客伝《きょうかくでん》と為《な》す。憾《うら》むらくは其の叙するところ
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