《せいざん》の饑《うえ》。
頤《おとがい》を朶《た》る 失ふところ多し、
苦節 未《いま》だ非とす可からず。
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道衍《どうえん》は豪傑なり、孝孺は君子なり。逃虚子《とうきょし》は歌って曰く、苦節|貞《かた》くすべからずと。遜志斎《そんしさい》は歌って曰く、苦節未だ非とす可からずと。逃虚子は吟じて曰く、伯夷量《はくいりょう》何ぞ隘《せま》きと。遜志斎は吟じて曰く、聖にして有り西山の饑《うえ》と。孝孺又其の※[#「さんずい+「勞」の「力」に代えて「糸」」、UCS−7020、380−4]陽《えいよう》[#ルビの「えいよう」は底本では「けいよう」]を過《よ》ぎるの詩の中の句に吟じて曰く、之に因《よ》って首陽《しゅよう》を念《おも》う、西顧《せいこ》すれば清風《せいふう》生ずと。又|乙丑中秋後《いっちゅうちゅうしゅうご》二日|兄《あに》に寄する詩の句に曰く、苦節|伯夷《はくい》を慕うと。人異なれば情異なり、情異なれば詩異なり。道衍は僧にして、※[#「角+光」、第3水準1−91−91]籌《こうちゅう》又何ぞ数えんといいて、快楽主義者の如く、希直《きちょく》は俗にして、飲《いん》の箴《しん》に、酒の患《うれい》たる、謹者《きんしゃ》をして荒《すさ》み、荘者をして狂し、貴者をして賤《いや》しく、存者《そんしゃ》をして亡《ほろ》ばしむ、といい、酒巵《しゅし》の銘には、親《しん》を洽《あまね》くし衆を和するも、恒《つね》に斯《ここ》に於《おい》てし、禍《わざわい》を造り敗《はい》をおこすも、恒《つね》に斯《ここ》に於てす、其|悪《あく》に懲り、以て善に趨《はし》り、其儀を慎《つつし》むを尚《たっと》ぶ、といえり。逃虚子は仏《ぶつ》を奉じて、而《しか》も順世《じゅんせい》外道《げどう》の如く、遜志斎は儒を尊んで、而《しか》も浄行者《じょうぎょうしゃ》の如し。嗚呼《ああ》、何ぞ其の奇なるや。然《しか》も遜志斎も飲を解せざるにあらず。其の上巳《じょうし》南楼《なんろう》に登るの詩に曰く、
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昔時《せきじ》 喜んで酒を飲み、
白《さかずき》を挙げて 深きを辞せざりき。
茲《ここ》に中歳《ちゅうさい》に及んでよりこのかた、
已《すで》に復《また》 人の斟《く》むを畏《おそ》る。
後生《わかきもの》 ゆるがせにする所多きも、
豈《あに》識《し》ら
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