《のち》皆|其《その》死《し》を得ず。建文帝の少子《しょうし》は中都《ちゅうと》広安宮《こうあんきゅう》に幽せられしが、後《のち》終るところを知らず。


 魏国公《ぎこくこう》徐輝祖《じょきそ》、獄に下さるれども屈せず、諸武臣皆帰附すれども、輝祖|始終《しじゅう》帝を戴《いただ》くの意無し。帝|大《おおい》に怒れども、元勲|国舅《こくきゅう》たるを以て誅《ちゅう》する能《あた》わず、爵を削って之を私第《してい》に幽するのみ。輝祖は開国の大功臣たる中山王《ちゅうさんおう》徐達《じょたつ》の子にして、雄毅《ゆうき》誠実、父|達《たつ》の風骨あり。斉眉山《せいびざん》の戦《たたかい》、大《おおい》に燕兵を破り、前後数戦、毎《つね》に良将の名を辱《はずかし》めず。其《その》姉は即《すなわ》ち燕王の妃《ひ》にして、其弟|増寿《ぞうじゅ》は京師《けいし》に在りて常に燕の為《ため》に国情を輸《いた》せるも、輝祖独り毅然《きぜん》として正しきに拠《よ》る。端厳の性格、敬虔《けいけん》の行為、良将とのみ云《い》わんや、有道の君子というべきなり。
 兵部尚書《へいぶしょうしょ》鉄鉉《てつげん》、執《とら》えられて京《けい》に至る。廷中に背立して、帝に対《むか》わず、正言して屈せず、遂に寸磔《すんたく》せらる。死に至りて猶《なお》罵《ののし》るを以《もっ》て、大※[#「金+護のつくり」、第3水準1−93−41]《たいかく》に油熬《ゆうごう》せらるゝに至る。参軍断事《さんぐんだんじ》高巍《こうぎ》、かつて曰く、忠に死し孝に死するは、臣の願《ねがい》なりと。京城《けいじょう》破れて、駅舎に縊死《いし》す。礼部尚書《れいぶしょうしょ》陳廸《ちんてき》、刑部《けいぶ》尚書|暴昭《ぼうしょう》、礼部侍郎《れいぶじろう》黄観《こうかん》、蘇州《そしゅう》知府《ちふ》姚善《ようぜん》、翰林《かんりん》修譚《しゅうたん》、王叔英《おうしゅくえい》、翰林《かんりん》王艮《おうごん》、淅江《せっこう》按察使《あんさつし》王良《おうりょう》、兵部郎中《へいぶろうちゅう》譚冀《たんき》、御史《ぎょし》曾鳳韶《そうほうしょう》、谷府長史《こくふちょうし》劉※[#「王+景」、第3水準1−88−27]《りゅうけい》、其他数十百人、或《あるい》は屈せずして殺され、或は自死《じし》して義を全くす。斉泰《せいたい》、黄子
前へ 次へ
全116ページ中69ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング