《しか》るべきものあるか。鄒公《すうこう》瑾《きん》等《ら》十八人、殿前に於《おい》て李景隆《りけいりゅう》を殴《う》って幾《ほとん》ど死せしむるに至りしも、亦《また》益無きのみ。帝、金川門《きんせんもん》の守《まもり》を失いしを知りて、天を仰いで長吁《ちょうく》し、東西に走り迷《まど》いて、自殺せんとしたもう。明史《みんし》、恭閔恵《きょうびんけい》皇帝紀に記す、宮中火起り、帝終る所を知らずと。皇后|馬氏《ばし》は火に赴いて死したもう。丙寅《へいいん》、諸王及び文武の臣、燕王に位に即《つ》かんことを請う。燕王辞すること再三、諸王|羣臣《ぐんしん》、頓首《とんしゅ》して固く請う。王|遂《つい》に奉天殿《ほうてんでん》に詣《いた》りて、皇帝の位に即く。
是《これ》より先|建文《けんぶん》中、道士ありて、途《みち》に歌って曰《いわ》く、
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燕《えん》を逐《お》ふ莫《なか》れ、
燕を逐ふ莫れ。
燕を逐へば、日に高く飛び、
高く飛びで、帝畿《ていき》に上《のぼ》らん。
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是《ここ》に至りて人|其《その》言の応を知りぬ。燕王今は帝《てい》たり、宮人|内侍《ないじ》を詰《なじ》りて、建文帝の所在を問いたもうに、皆|馬《ば》皇后の死したまえるところを指して応《こた》う。乃《すなわ》ち屍《かばね》を※[#「火+畏」、第3水準1−87−57]燼中《かいじんちゅう》より出して、之《これ》を哭《こく》し、翰林侍読《かんりんじどく》王景《おうけい》を召して、葬礼まさに如何《いかん》すべき、と問いたもう。景|対《こた》えて曰く、天子の礼を以てしたもうべしと。之に従う。
建文帝の皇考《おんちち》興宗孝康《こうそうこうこう》皇帝の廟号《びょうごう》を去り、旧《もと》の諡《おくりな》に仍《よ》りて、懿文《いぶん》皇太子と号し、建文帝の弟|呉王《ごおう》允※[#「火+通」、UCS−71A5、339−9]《いんとう》を降《くだ》して広沢王《こうたくおう》とし、衛王《えいおう》允※[#「火+堅」、UCS−719E、339−9]《いんけん》を懐恩王《かいおんおう》となし、除王《じょおう》允※[#「熈」の「ノ」に代えて「冫」、第3水準1−87−58]《いんき》を敷恵王《ふけいおう》となし、尋《つい》で復《また》庶人《しょじん》と為《な》ししが、諸王|後
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