万人を殺して終つた事がある。其の四十万人が皆同じ年月の生れであつたか、何様だ、そんな事は思へまい、してみれば生れ年月で運命が何様の彼様のといふのは当になるまい、と論じて居ります。ルシタニヤ号の沈没、先年の大地震、一時に大勢死んで居ります。それが一※[#二の字点、1−2−22]何で生れ年月の如何に因りませう。二十八宿や七曜や九星や、いづれも当にする人には当になるか知りませぬが、当にならないと思つた日には何で当になりませう。まるで夢見たやうな事ではありますまいか。方位によつて従来行動の吉凶祝福を申しまするのも、二千年も前の慰繚子といふ兵法家が既に嘲笑つて居りまして、方角の好否で戦の勝敗が定まつて堪るものかと申して居ります位です。支那の古い人でさへ其通りです、今の人が何で理を観ること古の人に及ばぬやうな下らぬ考を持つて居られませうや。
 人の相貌骨格も其当人が自分で定めたものでありませぬから、先づ運命前定説が一半だけは是認せられる訳でして、何様も不美人に生れついては男子に愛されぬ勝で、醜夫に生れついては婦人の悦ぶところとならぬ勝ですから、鏡に対して憮然たる人も世に多い訳ですが、幸にして人間は牛や馬ではありません。自分で自分を向上させることの出来るものですから、無理に隆鼻術の施行や美容法研究をせずとも、「此に欠くるところも彼に増すこともあれば又以て自ら善くするに足る」道理で、然《さ》のみ苦にするには当りません。例を申せば、無塩君は醜婦でありましたが破格の出世を致しました。小町は美人であつたが卒塔婆小町の悲境に落ちました。支那の大哲老子の母は非常に醜婦であつたと伝へられて居ます。希臘の賢人に醜貌の人のあつたは誰も知つてゐる事です。諸葛孔明は実に立派な人ですが、其の妻を娶るに当つては特と醜婦を択びましたので、当時小歌を作つて其事を囃したものがあります。日本でも毛利の麒麟児と云はれた一英雄はわざと孔明の所為を学びました。孔明の妻となり老子の母となつては、醜婦の鼻も亦甚だ高い訳ではありませんか。アルシビアデスは非常の美男子で雄材の人ですが、其終を令《よ》くしては居りませぬ。澹台子羽は容貌の揚らないので孔子様にさへ軽く視られましたが、徳を修め道に進んだので、後に至つて孔子様も吾が失敗であつたと歎ぜられたとあります。美しい醜いといふことは確に其人に利益不利益を与へますが、それでさへ必ずしも利不利を与へるとは限りません。美人薄命といふ語さへあつて、美しい為に不利を亨けた例は歴史にも伝説にも余るほどあります。人相家の方では、世俗の美しいといふのには却て宜しく無く、世俗が醜いといふのに却て宜しいとするのが甚だ多いのでありますが、美醜の論だけに於てさへ前に申しました通り、必ずしも何様の彼様のといふことは定められぬのであります。それで二千年の遠い古の荀子といふ学者さへ非相論を著はして、相貌によつて運命が定められているといふ思想を粉砕して居るのであります。単に相貌から申しますれば、孔子様は陽虎といふ詰らぬ人に酷《よく》肖《に》て居られたので人違をされた位ですが、陽虎の人となりや運命が孔子様とは大変な相違であつたことに誰しも異論はありません。
 人相家の説に反対した人は遠い古から俊秀の人に何程有つたか知れません。よし一歩も二歩も譲つて、相貌骨格を以て人の運命が定まつて居るものとしましたところで、人相といふものは変るもので有りますから、人相が既に変る以上は運命もまた変る訳でして、して見れば心掛や所行や境遇によつて運命もどし/\変ると考へて正当であります。こゝに極※[#二の字点、1−2−22]長寿の相の有る人が居ますとしましても、其人が河豚を無暗に食べたり、大酒をしたり荒淫を敢てしたりすると致しますれば、甚だ其の高寿であり得るといふことは危いので有りまして、日※[#二の字点、1−2−22]に其の長寿の相は変ずるで有りませう。太い蝋燭でも風吹きの場処に置けば疾く竭きて終ひ、細い蝋燭でも風陰に置けば長く保つ道理で、世間には丈夫な人が早死し、病弱な人が長寿する例は何程もあります。易に、つねに病み、つねに死せず、といふ文句がありますが、実に然様いふ事も世に多い例です。心掛次第で人相が悪く生れて居ても美《よ》くなりますところが、実に人相に取つて或程度までは人相の信ぜられる理由です。
 これは実に人相の面白いところで、勝れた人相家が適中した判断を為し得るのも、其の変るところを知つて居るからでして、若し人相が生れた儘に全然変化せぬものでしたならば、人相論も現在相違になりますから、成立たぬものになりますが、相貌は変るものですから、そこで人相論は現在相違になりませんで、そして運命前定説を一半だけ是認し、又後一半は運命は其人の心掛次第で善くも悪くもなるといふ運命非前定説を伴ふことが出
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