しも利不利を与へるとは限りません。美人薄命といふ語さへあつて、美しい為に不利を亨けた例は歴史にも伝説にも余るほどあります。人相家の方では、世俗の美しいといふのには却て宜しく無く、世俗が醜いといふのに却て宜しいとするのが甚だ多いのでありますが、美醜の論だけに於てさへ前に申しました通り、必ずしも何様の彼様のといふことは定められぬのであります。それで二千年の遠い古の荀子といふ学者さへ非相論を著はして、相貌によつて運命が定められているといふ思想を粉砕して居るのであります。単に相貌から申しますれば、孔子様は陽虎といふ詰らぬ人に酷《よく》肖《に》て居られたので人違をされた位ですが、陽虎の人となりや運命が孔子様とは大変な相違であつたことに誰しも異論はありません。
人相家の説に反対した人は遠い古から俊秀の人に何程有つたか知れません。よし一歩も二歩も譲つて、相貌骨格を以て人の運命が定まつて居るものとしましたところで、人相といふものは変るもので有りますから、人相が既に変る以上は運命もまた変る訳でして、して見れば心掛や所行や境遇によつて運命もどし/\変ると考へて正当であります。こゝに極※[#二の字点、1−2−22]長寿の相の有る人が居ますとしましても、其人が河豚を無暗に食べたり、大酒をしたり荒淫を敢てしたりすると致しますれば、甚だ其の高寿であり得るといふことは危いので有りまして、日※[#二の字点、1−2−22]に其の長寿の相は変ずるで有りませう。太い蝋燭でも風吹きの場処に置けば疾く竭きて終ひ、細い蝋燭でも風陰に置けば長く保つ道理で、世間には丈夫な人が早死し、病弱な人が長寿する例は何程もあります。易に、つねに病み、つねに死せず、といふ文句がありますが、実に然様いふ事も世に多い例です。心掛次第で人相が悪く生れて居ても美《よ》くなりますところが、実に人相に取つて或程度までは人相の信ぜられる理由です。
これは実に人相の面白いところで、勝れた人相家が適中した判断を為し得るのも、其の変るところを知つて居るからでして、若し人相が生れた儘に全然変化せぬものでしたならば、人相論も現在相違になりますから、成立たぬものになりますが、相貌は変るものですから、そこで人相論は現在相違になりませんで、そして運命前定説を一半だけ是認し、又後一半は運命は其人の心掛次第で善くも悪くもなるといふ運命非前定説を伴ふことが出
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