歴史にあります。此等は実に奇妙な運命を其子が生れる時に荷つて生れたもので、運命前定論を支へる一ツの稀なる事件です。稀有な事は議論の力強い材料にはなりませぬが、是の如き稀有なる事を申出さずとも、誰でも彼でも自分が時を撰び、処を撰び、家を撰び、自分の体質相貌等を撰んで生れたので無いといふことに思ひ当つたならば、自然に運命前定が少くとも一半は真理であるといふことを思ふでせう。運命が無いなぞといふことは何程自惚の強い人でも云ひ得ない事でせう。
けれども運命前定は一半だけ真実の事実でして、全部運命は前定して居るものだなぞと思つては確にそれは間違です。随つて運命前定説から生れる運命測知術、即ちいろ/\の占卜の術などを神聖のもののやうに思つては、人間たるものの本然の希望、即ち向上心といふ高いものを蹂躪する卑屈の思想に墜ちて終ひまして甚だ宜しく無い、即ちそれは現在相違といふ過失に陥ります。人は生きて居る間は向上進歩の望を捨てることは出来ぬものであります。これは即ち端的の現在事実です。此の現在事実に背くことを考へるのは、現在相違といふ下らないことです。
前に申しました占星術の如きは仮令幾多の事例が有りましたとて、何で今の人がこれを念頭に上せませうか。諸葛孔明が死んだ時に大きな星が墜ちた、それを観て敵の司馬懿が孔明の死を悟つて攻寄せたなどといふ談は、軍談では面白いことですが、それは勿論たゞお話です。そんな事が真実ならば、人は一※[#二の字点、1−2−22]天の星の一※[#二の字点、1−2−22]に相応して居る訳で、星の数と人の数と同じで無ければならぬことになります。英雄豪傑は赤い星、美人才女は美しい星、兇悪の人は箒星、平凡の人は糠星や見えないやうな星、をかしな人は夜這星なんて、そんな馬鹿気た事が何処にありませう。生れた年月日時によつて人の運命が定められては堪《たま》りません。御亭主が暦を披いて十干十二支を調べながら産婦に対つて、「丁度好い日だぞ上※[#二の字点、1−2−22]吉の日だぞ、かの子や、今日の三時に男の子を生め、はやくイキンで生め」なぞと云つたり、「今日は悪日だ、辛抱して明日の朝まで産むな」なぞと云ふことになつたら堪るものではありません。古い人でも流石に道理の分つた人がありまして、漢の王充といふ人が申して居りますが、秦と趙と戦つた時、秦の白起といふ猛将が趙の降参の兵卒四十
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