れると喜ぶなんかんという洒落た助倍《すけべい》の木もある。御辞宜《おじぎ》を能くする卑劣の樹もある。這ッて歩いて十年たてば旅行いたし候と留守宅へ札を残すような行脚の樹もある。動物の中でもなまけた奴は樹に劣ッてる。樹男という野暮は即ちこれさ。元より羊は草にひとしく、海ほおずきは蛙《かわず》と同じサ、動植物無区別論に極ッてるよ。さてそれから螺旋でこの生物を論ずると死生の大法が分るから、いよいよ大発明の大哲学サ、しッかりしてきかないと分らないよ。
一体全体何んでもドンゾコまで分ッてる世界ではない。人間の智慧でドンゾコまで分るものだかどうだか知れないのサ。人間の智慧という奴が無限だか有限だかも人間の智慧では分らないから可笑《おかし》いのだよ。人間の智慧が無限ならば事物を解釈し悉《つく》せるように思うだろうがこれもあやしいのサ。気の毒だけれども誰も人智の有限と無限とを智慧の上から推して断定のできるものはまず無さそうだ。そのくらいの事だからまず動物と植物の区別さえろくにはつかないのサ。それから生物と死物との区別だッてろくに付けることの出来るものはまず無いのサ。生物の最下等の奴になるとなんだかロク
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