て互に撞着《ぶつかる》時よりおもしろくない。直線は一種直線ぎりだが、曲線はいろいろの度を無窮の多数に有している、有則曲線、無則曲線、実に人間には分らないほど色々の曲線がある。たとえば有則の曲線の場合でいおうか。ここに仮定した二点があるとして、二点を貫く曲線をブンマワシで書て見玉え、またそのブンマワシの心を動かして同くその二点を貫く曲線を書て見玉え、又そのブンマワシの心を動かして書て見玉え、有則の曲線が無数に書けるよ、実にその相互に異ったる状態を有せる曲線の即ち弧という奴の数は何箇《いくつ》あるか知れない。まして人間の指で書くような出鱈目《でたらめ》の曲線は何千万状あるか知れるものではない。このくらい曲線という奴は洒落た奴だよ。だから二力が互に異りたる曲線的に来てぶつかる時は、又何千万様の変化を起すか知れないのサ。ここが即ちおもしろい所だ。ここから天地万物がメチャメチャに色々の形状をなしてあらわれて来るのだよ。さてその曲線という奴は無障碍の空間で試みに引のばして見玉え、必ず螺線となるには相違ないのサ。螺線にならなければ環をなすのだよ、環をなしてはつまらないのサ。去年の道をまた今年もあるいているようなものだから、即ち変化生々の大法に反対している。ナニ環をなす気づかいはないのサ。地球の軌道は楕円の環をなしていると君達は思うだろうが大ちがいサ、実は月が地球のまわりを環をなしながら到底《つまり》は大空間に有則螺線を描ていると同じ事に、地球も太陽に従ッて有則螺線を大空間に描いているのサ。即ち自転も螺旋サ。又一年の動きも螺旋サ。有則螺旋を浅薄な考えで見ると環に見えるのサ。イイカネ、いよいよむずかしくなッて来たから中々分るまい。マアしかしこのくらい分らなければ後は中々分らないよ。前からいッて来た通り活動の世界だからネ、どうしても螺旋的の運動に違いないのサ。畢竟《ひっきょう》は螺旋的だから運動が千殊万差の異様をなして長く続くのサ。ソコデ人間の世界に生れて来るのも単に螺旋的にヒョコリと出て来るのサ、そうして人間の意思動作もすべて螺旋的にぐるぐるまわッているのサ。社会の栄枯盛衰も螺旋的にぐるぐるまわッているのだよ。易なんぞというものは感心な奴で、初爻《しょこう》と上爻とが首尾相呼んでぐるぐるとデングリカエシをやッて螺線を描いて六十四|卦《け》だけにコロガリころがッて実はまだいくらにでもコロガリ出すことが出来るのサ。ダカラ甘《うま》く天地を包含したようの事を示せるのサ。又人間の心をもイヤに西洋の奴らは直線的に解剖したがるから、呆れて物がいえない、馬鹿馬鹿しい折詰の酢子《すし》みたような心理学になるのサ。一切生活機能のあるもの、いい直して見れば力の行われているものを直線的にぐずぐず論ずるのが古来の大まちがいサ。アア螺旋法なるかななるかな。といいたるまま、かの学者はクンクンと鼻をならしながら、どうだ分ッたか螺旋法が、少し分ったろう、螺旋法に限るぞ、といい玉う。かの男は閉口してつくづく感心し、なるほどなるほど法螺《ほら》とはこれよりはじまりけるカネ。(終)
[#地付き](「読売新聞」明治二三年)
底本:「懐かしい未来――甦る明治・大正・昭和の未来小説」中央公論新社
2001(平成13)年6月10日初版発行
底本の親本:「読売新聞」読売新聞社
1890(明治23)年4月
初出:「読売新聞」読売新聞社
1890(明治23)年4月
※この作品は、1890(明治23)年4月8日〜4月20日にかけて「読売新聞」に連載された、「日ぐらし物語」の一話です。
入力:川山隆
校正:伊藤時也
2006年10月18日作成
2007年2月11日修正
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