般国政に容喙《ようかい》するならば、その過去と現在の生活環境とよりして、決して充分の資格条件を具備するものと云うことは出来ない。軍人は軍人としての特殊の観点に制約されざるをえないのである。
軍人その本務を逸脱して余事に奔走すること、既に好ましくないが、更に憂うべきことは、軍人が政治を左右する結果は、若し一度戦争の危機に立つ時、国民の中には、戦争が果たして必至の運命によるか、或は何らかの為にする結果かと云う疑惑を生ずるであろう。国家の運命が危険に迫れる時に於て、挙国満心の結束を必要とする時に於て、かかる疑惑ほど障碍《しょうがい》となるものはない。
五
一千数百名の将兵をして勅命違反の叛軍《はんぐん》たらしめんとするに至れるは、果たして誰の責任であろうか。事件は突如として今日現れたのではなくて、由《よ》って来れる所遠きに在る。満洲《まんしゅう》事変以来|擡頭《たいとう》し来れるファッシズムに対して、若し〈軍部〉にその人あらば、夙《つと》に英断を以て抑止すべきであった。
国軍の本務は国防に在るか奈辺《なへん》に在るか、政治は国民の総意に依《よ》るべきか一部少数の〈暴〉力に依るべきかは、厳として対立する見解にして、その間何等の妥協|苟合《こうごう》を許されない。若し対立する見解の一方を採るならば、その所信に於て貫徹を期すべきである。所謂《いわゆる》責任と称してその都度職を辞するが如きは、其の意味の責任を果たさざるものである。幸いにして此の機を利用して、抜本|塞源《そくげん》の英断を行うもの国軍の中より出現するに非《あら》ずんば、更に〈幾度か此の不祥事を繰り返すに止ま〉るであろう。
六
左翼戦線が十数年来無意味の分裂抗争に、時間と精力とを浪費したる後、漸《ようや》く暴力革命主義を精算して統一戦線を形成したる時、右翼の側に依然として暴力主義の迷夢が低迷しつつある。
今や国民は国民の総意か一部の暴力かの、二者択一の分岐点に立ちつつある。此の最先の課題を確立すると共に社会の革新を行うに足る政党と人材とを議会に送ることが急務である。二月二十日の総選挙は、夫《そ》れ自身に於ては未だ吾々を満足せしめるに足りないが、日本の黎明《れいめい》は彼《か》の総選挙より来るであろう。黎明は突如として捲《ま》き起これる妖雲《よううん》によって、暫《しばら》くは閉ざされようとも、吾々の前途の希望は依然として彼処《そこ》に係っている。
此の時に当たり往々にして知識階級の囁《ささや》くを聞く、此の〈暴〉力の前にいかに吾々の無力なることよと、だが此の無力感の中には、暗に暴力|讃美《さんび》の危険なる心理が潜んでいる、そして之こそファッシズムを醸成する温床である。暴力は一時世を支配しようとも、暴力自体の自壊作用によりて瓦壊《がかい》する。真理は一度地に塗《まみ》れようとも、神の永遠の時は真理のものである。此の信念こそ吾々が確守すべき武器であり、之あるによって始めて吾々は暴力の前に屹然《きつぜん》として亭立しうるのである。
底本:「近代の文章」筑摩書房
1988(昭和63)年1月15日初版第1刷発行
底本の親本:「近代日本思想大系 第三六巻」筑摩書房
1978(昭和53)年1月
初出:「帝国大学新聞」
1936(昭和11)年3月9日発行
※〈〉内は、伏字を起こした箇所です。底本で用いられている〔〕が、「アクセント分解された欧文をかこむ」記号と重なるため、置き換えました。
※底本の「注釈」によると、伏字は石上良平氏によって起こされました。
入力:ゼファー生
校正:染川隆俊
2006年9月21日作成
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