気の毒だと思ってその女がくれたんだろうね、緋《ひ》の長襦袢《ながじゅばん》をどうだろう、押入の中へ人形のように坐らせた。胴へは何を入れたかね、手も足もないんでさ。顔がと云うと、やがて人ぐらいの大きさに、何十挺だか蝋燭を固めて、つるりとやっぱり蝋を塗って、細工をしたんで。そら、燃えさしの処が上になってるから、ぽちぽち黒く、女鳴神《おんななるかみ》ッて頭でさ。色は白いよ、凄《すご》いよ、お前さん、蝋だもの。
私《わっし》あ反《そ》ったねえ、押入の中で、ぼうとして見えた時は、――それをね、しなしなと引出して、膝へ横抱きにする……とどうです。
欠火鉢《かけひばち》からもぎ取って、その散髪《ざんぎり》みたいな、蝋燭の心へ、火を移す、ちろちろと燃えるじゃねえかね。
ト舌は赤いよ、口に締りをなくして、奴め、ニヤニヤとしながら、また一挺、もう一本、だんだんと火を移すと、幾筋も、幾筋も、ひょろひょろと燃えるのが、搦《から》み合って、空へ立つ、と火尖《ひさき》が伸びる……こうなると可恐《おそろ》しい、長い髪の毛の真赤《まっか》なのを見るようですぜ。
見る見る、お前さん、人前も構う事か、長襦袢の肩を両肱《りょうひじ》へ巻込んで、汝《てめえ》が着るように、胸にも脛《すね》にも搦《から》みつけたわ、裾《すそ》がずるずると畳へ曳《ひ》く。
自然とほてりがうつるんだってね、火の燃える蝋燭は、女のぬくみだッさ、奴が言う、……可《よ》うがすかい。
頬辺《ほっぺた》を窪ますばかり、歯を吸込んで附着《くッつ》けるんだ、串戯《じょうだん》じゃねえ。
ややしばらく、魂が遠くなったように、静《じっ》としていると思うと、襦袢の緋が颯《さっ》と冴えて、揺れて、靡《なび》いて、蝋に紅《あか》い影が透《とお》って、口惜《くやし》いか、悲《かなし》いか、可哀《あわれ》なんだか、ちらちらと白露を散らして泣く、そら、とろとろと煮えるんだね。嗅《か》ぐさ、お前さん、べろべろと舐《な》める。目から蝋燭の涙を垂らして、鼻へ伝わらせて、口へ垂らすと、せいせい肩で呼吸《いき》をする内に、ぶるぶると五体を震わす、と思うとね、横倒れになったんだ。さあ、七顛八倒《しちてんばっとう》、で沼みたいな六畳どろどろの部屋を転摺《のめず》り廻る……炎が搦《から》んで、青蜥蜴《あおとかげ》の※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]打《のたう》つようだ。
私《わっし》あ夢中で逃出した。――突然《いきなり》見附へ駈着《かけつ》けて、火の見へ駈上《かけあが》ろうと思ったがね、まだ田町から火事も出ずさ。
何しろ馬鹿だね、馬鹿も通越しているんだね。」
お不動様の御堂《みどう》を敲《たた》いて、夜中にこの話をした、下塗《したぬり》の欣八が、
「だが、いい女らしいね。」
と、後へ附加えた了簡《りょうけん》が悪かった。
「欣八、気を附けねえ。」
「顔色が変だぜ。」
友達が注意するのを、アハハと笑消して、
「女《あま》がボーッと来た、下町ア火事だい。」と威勢よく云っていた。が、ものの三月と経《た》たぬ中《うち》にこのべらぼう、たった一人の女房の、寝顔の白い、緋手絡《ひてがら》の円髷《まるまげ》に、蝋燭を突刺《つッさ》して、じりじりと燃して火傷《やけど》をさした、それから発狂した。
但し進藤とは違う。陰気でない。縁日とさえあればどこへでも押掛けて、鏝塗《こてぬり》の変な手つきで、来た来たと踊りながら、
「蝋燭をくんねえか。」
怪《あやし》むべし、その友達が、続いて――また一人。…………
[#地から1字上げ]大正二(一九一三)年六月
底本:「泉鏡花集成6」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年3月21日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第十五卷」岩波書店
1940(昭和15)年9月20日発行
入力:門田裕志
校正:高柳典子
2007年2月11日作成
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