くるりと向きかわると、思いがけず、辻町の胸にヒヤリと髪をつけたのである。
「私、こいしい、おっかさん。」
前刻《さっき》から――辻町は、演芸、映画、そんなものの楽屋に縁がある――ほんの少々だけれども、これは筋にして稼げると、潜《ひそか》に悪心の萌《きざ》したのが、この時、色も、慾《よく》も何にもない、しみじみと、いとしくて涙ぐんだ。
「へい。お待遠でござりました。」
片手に蝋燭《ろうそく》を、ちらちら、片手に少しばかり火を入れた十能を持って、婆さんが庫裏《くり》から出た。
「糸塚さんへ置いて行きます、あとで気をつけて下さいましよ、烏が火を銜《くわ》えるといいますから。」
お米も、式台へもうかかった。
「へい、もう、刻限で、危気《あぶなげ》はござりましねえ、嘴太烏《ふと》も、嘴細烏《ほそ》も、千羽ヶ淵の森へ行《い》んで寝ました。」
大城下は、目の下に、町の燈《ひ》は、柳にともれ、川に流るる。磴《いしだん》を下へ、谷の暗いように下りた。場末の五|燈《しょく》はまだ来ない。
あきない帰りの豆府屋が、ぶつかるように、ハタと留った時、
「あれ、蜻蛉が。」
お米が膝をついて、手を合せ
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