よわ》い人のために見る目も忍びないであろう処を、あたかも好《よし》、玉を捧ぐる白珊瑚《しろさんご》の滑《なめら》かなる枝に見えた。
「かえりに、ゆっくり拝見しよう。」
 その母親の展墓である。自分からは急がすのをためらった案内者が、
「道が悪いんですから、気をつけてね。」
 わあ、わっ、わっ、わっ、おう、ふうと、鼻|呼吸《いき》を吹いた面《つら》を並べ、手を挙げ、胸を敲《たた》き、拳《こぶし》を振りなど、なだれを打ち、足ただらを踏んで、一時《ひといき》に四人、摺違《すれちが》いに木戸口へ、茶色になって湧《わ》いて出た。
 その声も跫音《あしおと》も、響くと、もろともに、落ちかかったばかりである。
 不意に打《ぶ》つかりそうなのを、軽く身を抜いて路を避けた、お米の顔に、鼻をまともに突向けた、先頭《さきて》第一番の爺《じじい》が、面《つら》も、脛《すね》も、一縮みの皺《しわ》の中から、ニンガリと変に笑ったと思うと、
「出ただええ、幽霊だあ。」
 幽霊。
「おッさん、蛇、蝮《まむし》?」
 お米は――幽霊と聞いたのに――ちょっと眉を顰《ひそ》めて、蛇、蝮を憂慮《きづか》った。
「そんげえなもんじゃねえだア。」
 いかにも、そんげえなものには怯《おび》えまい、面魂、印半纏《しるしばんてん》も交って、布子のどんつく、半股引《はんももひき》、空脛《からずね》が入乱れ、屈竟《くっきょう》な日傭取が、早く、糸塚の前を摺抜けて、松の下に、ごしゃごしゃとかたまった中から、寺爺やの白い眉の、びくびくと動くが見えて、
「蜻蛉だあ。」
「幽霊蜻蛉ですだアい。」
 と、冬の麦稈帽《むぎわらぼう》を被《かぶ》った、若いのが声を掛けた。
「蜻蛉なら、幽霊だって。」
 お米は、莞爾《にっこり》して坂上りに、衣紋《えもん》のやや乱れた、浅黄を雪に透く胸を、身繕いもせず、そのまま、見返りもしないで木戸を入った。
 巌《いわ》は鋭い。踏上る径《みち》は嶮《けわ》しい。が、お米の双の爪さきは、白い蝶々に、おじさんを載せて、高く導く。
「何だい、今のは、あれは。」
「久助って、寺爺やです。卵塔場で働いていて、休みのお茶のついでに、私をからかったんでしょう。子供だと思っている。おじさんがいらっしゃるのに、見さかいがない。馬鹿だよ。」
「若いお前さんと、一緒にからかわれたのは嬉しいがね、威《おど》かすにしても、寺で幽霊をいう奴があるものか。それも蜻蛉の幽霊。」
「蛇や、蝮でさえなければ、蜥蜴《とかげ》が化けたって、そんなに可恐《こわ》いもんですか。」
「居るかい。」
「時々。」
「居るだろうな。」
「でも、この時節。」
「よし、私だって驚かない。しかし、何だろう、ああ、そうか。おはぐろとんぼ、黒とんぼ。また、何とかいったっけ。漆のような真黒《まっくろ》な羽のひらひらする、繊《ほそ》く青い、たしか河原蜻蛉とも云ったと思うが、あの事じゃないかね。」
「黒いのは精霊蜻蛉ともいいますわ。幽霊だなんのって、あの爺《じじ》い。」
 その時であった。
「ああ。」
 と、お米が声を立てると、
「酷《ひど》いこと、墓を。」
 といった。声とともに、着た羽織をすっと脱いだ、が、紐をどう解いたか、袖をどう、手の菊へ通したか、それは知らない。花野を颯《さっ》と靡《なび》かした、一筋の風が藤色に通るように、早く、その墓を包んだ。
 向う傾けに草へ倒して、ぐるぐる巻というよりは、がんじ搦《がら》みに、ひしと荒縄の汚いのを、無残にも。
「初路さんを、――初路さんを。」
 これが女※[#くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1−91−26]の碑だったのである。
「茣蓙《ござ》にも、蓆《むしろ》にも包まないで、まるで裸にして。」
 と気色《けしき》ばみつつ、且つ恥じたように耳朶《みみたぶ》を紅くした。
 いうまじき事かも知れぬが、辻町の目にも咄嵯《とっさ》に印したのは同じである。台石から取って覆《か》えした、持扱いの荒くれた爪摺《つまず》れであろう、青々と苔の蒸したのが、ところどころ※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》られて、日の隈《くま》幽《かすか》に、石肌の浮いた影を膨らませ、影をまた凹ませて、残酷に搦《から》めた、さながら白身の窶《やつ》れた女を、反接|緊縛《きんばく》したに異ならぬ。
 推察に難《かた》くない。いずれかの都合で、新しい糸塚のために、ここの位置を動かして持運ぼうとしたらしい。
 が、心ない仕業をどうする。――お米の羽織に、そうして、墓の姿を隠して好《よ》かった。花やかともいえよう、ものに激した挙動《ふるまい》の、このしっとりした女房の人柄に似ない捷《すばや》い仕種《しぐさ》の思掛けなさを、辻町は怪しまず、さもありそうな事と思ったのは、お京の娘だからであった。こんな場に出
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